戦国時代の「刈り働き」と「焼き働き」

 戦国時代、武将たちは敵を倒す為には手段を選ばない側面があった。
 その代表的なものが「刈り働き」と「焼き働き」なのである。
 共に、相手の領地を荒らしまわる戦法であった。

 「刈り働き」は、秋の収穫時期に、敵の領内に入り込み、稲や麦を刈り取ってしまうという戦法なのである。
 敵方領内の稲や麦を刈り取って奪えば、味方の兵糧は豊になる一方、敵方は窮乏し、領国経営が苦しくなってしまう。
 成功すれば、敵方に大きな衝撃を与えることになる。

 敵も、勿論そのことを知っているから、刈り働きの軍が来れば、すぐに追い払うための軍勢を出して来る。
 「刈り働き」を阻止しなければ、自国の農民たちから信頼されなくなるからである。
 刈り働きの一つに「青田刈り」と呼ばれる手法もあった。
 これは、秋の収穫期でなく、まだ稲や麦が青い時期に刈り取ってしまうものである。
 収穫時期よりも警戒が手薄だったため、こちらの方が成功率は高かったようである。

 「焼き働き」は、敵国の城下町や村々に火を放つ戦法のことをいう。
 収穫時期の稲や麦を焼くこともあった。
 ただし、焼き働きは、下手をすると、自軍まで火に巻き込まれて逃げ場を失う為、相当の技術力を要したといわれている。

 戦国の世に勝ち残るには、こうした「刈り働き」や「焼き働き」といった手法も、重要な戦法であった。
 たとえ、大合戦に敗れても、5~6年間,刈り働きや焼き働きを続ければ、形勢を逆転できるといわれたほどである。
 (参考~歴史の謎研究会書他)

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