尾道市の石造物(足利尊氏の供養塔等)・15

 足利尊氏供養塔
所在地~尾道市東久保町「浄土寺」境内

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 建武3年(1336)2月、新田義貞・楠木正成の軍勢に破れた足利尊氏は、九州へ逃れる途中、備後の鞆津で院宣を拝受した。
 尾道港に船を繋留して浄土寺に参詣、戦運の挽回を祈願して備後国得良郷の地頭職を浄土寺に寄進した。
 同年5月、九州で菊池軍を撃破した尊氏が再びこの浄土寺下に御座船を停泊させて戦勝を祈願し、本尊十一面観世音菩薩に自詠の7首以下33首の法楽和歌を献納した。
 尊氏はこのとき敵の矢や投石を防ぐ盾板にするため、本堂の桟唐戸を残らず持ち去ったと伝え、この時から600年間、昭和の大修理まで本堂に扉がなかった。
 そうした由緒で寺紋には足利氏の紋所(二つ引両)が用いられている。(森本繁著備後の歴史散歩より)




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左側の塔が足利尊氏の供養塔で、高さ1.9m、相輪も完備し彫り全体の均整ともに洗練され、南北朝時代のにおける中国地方の宝篋印塔の代表作といわれ、国の重要文化財に指定されている。尊氏の墓と伝わる。
 右側は、尊氏の弟直義の供養塔と伝える。尊氏と同時期と考えられる。

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納経塔と宝篋印塔
 右側の納経塔は、基壇付高さ2.7m S28.8.29(1953)国の重文に指定される。
 弘安元年(1278)戌寅十月十四日の刻名がある。記年名をもつ尾道最古の石造物、定証上人による浄土寺再興前に同寺を修造した尾道の長老、阿弥陀仏のために子息の光阿造近が立てた供養塔と伝わる。
 「沙弥光阿弥陀」「孝子光阿 吉近敬白 大工形部安光」などの文字を読むことができる。
 左側の宝篋印塔は、高さ3.2m 貞和4年(1348)戌子十月十日の刻名がある。
 S28.8.29国の重文に指定される。
 沙弥行円など4名の逆修塔で光孝の追善のために建立された。伊予・備南地方を代表する宝篋印塔。 基礎と塔身の間に方形の受台を入れる地方の特色をとどめる。(以上案内板)



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