戦国時代突入の時期

 戦国時代といえば、全国各地で群雄割拠といわれるぐらい数々の大名たちが覇権争いをしていたとの思いが強い。
 
 一応、中央には統一国家として室町幕府があり、朝廷もしっかりしていたのである。
 しかし中央政府であるはずの幕府(室町)は、その前の鎌倉幕府や、後の江戸幕府と比較すると、全国を統治する能力が非常に弱かったのである。

 実権者であるはずの幕府が、実際は力がなかったことになり、名前だけの幕府であったのである。

 その理由は二つあると言われている。
一、政権基盤の構造的理由
   室町幕府は都(京都)にあり、そこから日本全土に号令を発し、統治しているのであるが、実際は、主要各地に守護という地方官を置いており、その守護がそれぞれの土地の有力武士を通じて統治していたのである。
 現代で言えば、室町時代は地方分権の時代でもあったのである。
 ということは、中央政府の力は成立ち当時から弱かったということになる。

二、幕府内での対立
   構造上の脆さのうえに、幕府内部での対立が続いたことが上げられる。
   典型的な例として、6代将軍義教が有力守護の「赤松満佑(みつすけ)」に殺害されたことである。将軍が家臣によって殺害されるという前代未聞の出来事であり、これによって、将軍家の権威は失墜したのである。
 
 そこに天災が重なって、飢饉が頻繁に起きたが、幕府は手を打つことができないほどの無力となっていたのである。
 各地の有力武将は、幕府や守護を当てにせず、自分達の土地は自分達で守るという「自立意識」が高まっていくのである。

 民も、身近な権力者(指導者)である有力武将に従うようになり、地方自治組織が強化されていったのである。
 そこから「下克上」の時代が始まっていくのであり、これが戦国時代の入口となったのである。

 戦国時代突入は、一般的には応仁の乱(1467)からといわれている。
   (参考~歴史の謎研究会書他)

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