「日の丸」の使用はいつこ゜ろから?

画像 日本国旗と決められている「日の丸」、日本人として誇るべき国旗であろう!
 白地に赤い丸、これほどシンプルで分りやすい国旗は世界の中でも日本の国旗だけであろう。

 その「日の丸」であるが、ではいつごろから使われだしたのであろうか?
 今回は東京教育大学高橋正人名誉教授の書から紹介することにしよう。

 「日の丸」は、明治3年(1870)、船舶に使用の国章として制定されている。
 その後、一般に祝祭日等に掲揚することが定められたものであるが、そこに至るまで「日の丸」には長い歴史が含まれているのである。

 古代の記録では、『続日本紀』に、天武5年(701・3月21日に大宝と改元)元旦朝賀の際大極殿(だいごくでん)で日像樋幢(にちぞうとう・日の紋旗)を用いた記述がある。
 後世の記録にも、『集古十種』(しゅうこじっしゅ)に後醍醐天皇(1288~1339)下賜の旗として、白絹地に朱日の丸を描いた旗図、その他多くの記録や絵図が残されている。

 武家の日の丸については扇面が顕著で、『愚管抄』(ぐかんしょう)に、保元元年(1156)源義朝が日の丸の扇を「日だしたる紅の扇」を使ったこと、『源平盛衰記』に、源義経が日の丸の扇を鷲尾三郎に与えたことが書かれ、その後も武家関係の多くの文献や、絵巻物に見ることができる。

 旗の日の丸については、記録や実物資料の現存するものが多くある。
 『会津陣物語』に、上杉謙信の旗本印として、「紺地に朱日の丸の旗」の記述(米沢上杉家に現存)がある。
 江戸初期の『諸将旗旌図』(しょしょうきせいず)に越前松平家の白地日の丸大馬印図、加賀前田家記録(金沢成巽閣蔵)に、白地日の丸纏図、また伊達家・武田家の日の丸実物が仙台市や、山梨県雲峰寺に残されている。

 多くの武将が日の丸を使っているが、それぞれ数種の旗との組み合わせにより他と識別された。
 
 幕末には幕府軍が日の丸を用い、彰義隊旗日の丸が靖国神社に保存されている。

 幕末のとき、海上で外国船と区別するため、幕府は島津斉彬の建議により安政元年(1854)「異国船に紛らわざるよう日本総印船は白地日の丸幡」を用いる旨、布告を出している。
 官軍もこれを用い、明治政府が引き継いだというわけである。

 

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