江戸時代、道中手形を亡くした場合どうなったか?

 現在のパスポートと同じ「道中手形」紛失したり盗られたりした場合どうしたのであろうか?
 国立歴史博物館山本光正氏の書から紹介しよう。

 関所通行手形は、証文・切手ともいい、関所通行の許可証であった。
 手形には女・囚人・乱心・手負い・死骸・鉄砲等の各種があり、さらにその種類により、上り下りの別によってもそれぞれ発行者を異にするという複雑なものであった。
 男子の場合。武士は手形が不要であったが、一般庶民は往来手形を必要としたのである。
 関所役人の検問を受けるだけで、旅人は常に身に着けており身許(みもと)証明書のようなものであった。

 以上のような関所手形を紛失した場合どうしたら良いかという規定を、幕府は定めていなかったといってよい。
 近世社会における許認可証等の交付は、現在のように役所と住民が対等の関係で交付されるものではなく、あくまでも上(かみ)から下(くだ)し置かれるもので、そのため紛失を規定すべきものではなかったのである。

 しかし手形を紛失した以上、再交付を願い出なければならないが、その時は面倒な手続きを必要としたと思われる。

 関所の手前で紛失に気がついて、関所役人にいくら頼んでも通過することは出来ない。

 天和元年(1681)11月、井上通女(つうじょ)が讃岐丸亀より江戸に赴く時、新居関所(静岡県)に手形を提出したが、手形の記載事項に間違いがあり、致し方なく使いを大阪まで走らせ、手形の書き換えを申請させている。
 この間、通女は新居に逗留している。

 手形も汚損した場合も大変だったようである。
 正徳2年(1712)2月、江戸数奇屋町理右衛門店五兵衛の女房と下女2名が、手代左兵衛に伴われて伊勢参宮に出立した。
 ところが六郷の渡し(東京都)で川に落ち、手形を濡らしてしまったのである。
 文字や押印に異常がないため旅を続けたが、箱根の関所で問題になり、幕府の留守居にまで問い合わせているのである。
 箱根では許可が降りたが、再び新居でも問題になり、複雑な手続きをとってようやく関所を通過している。

 いずれも紛失の事例ではないが、関所の通過がいかに厳しかったかを窺(うかが)うことができるのである。
 

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この記事へのコメント

通りすがりの者
2010年03月01日 06:24
手形は現代でいえばパスポートであるから、紛失・汚損で通行できず、発行先に再発行の手続きを取らざるを得ず、それまで入国ができないのと同じことであるから、何も江戸時代が特殊であったわけではない。江戸時代の藩は一種の独立国であるから当然のことである。

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