尾道市の民話(鈴姫のほこら)・5

                  鈴姫のほこら
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                  鳴滝山城跡
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 このほこらのことを、この辺の人達はみんなスズメさんと言うとるがのう、ほんまは鈴姫さんのほこらなんじゃ。
 スズヒメがなまってスズメさんになったんじゃのう。
 今からそうようのう、560年ほど前のそれは悲しい悲しい物語なんじゃ。
 鳴滝山に城があったんじゃが、そこの殿さんは「宮地恒躬(つねみ)」という人じゃったが、かわいそうに木頃の殿さんにだまし討ちにされたんじゃ。
 応永30年(1423)9月13日のことじゃった。
 今まで仲の悪かった美ノ郷の大平山城に住む木頃経兼(つねかね)という殿さんが、仲直りしよう言うて、沢山の土産物を持って宮地の殿さんの城へやって来たんじゃ。
 宮地の殿さんは、それは願ってもないことじゃ言うて、木頃の殿さんと家来たちを城に入れて酒盛りを始めたんじゃ。
 9月13日は中秋の名月じゃ、月がこうこうと照って、城から見える山と海の景色はすごくきれいじゃった。
 それに笛の音が響きわたってのう、ほんまにええ月見じゃった。
 ところがのう、木頃の殿さんが急に宮地の殿さんに切りつけたんじゃ。木頃の家来たちは着物の下によろいを着とった。
 それに城のまわりに伏兵をしのばせとったんじゃ。
 中から城門が開けられ、伏兵がどっと押し入る。切りあいが始まる。火の手が上がる。ものすごいもんじゃった。
 内からも外からも攻め立てられ、いくら強い宮地の殿さんじゃいうても防ぎようがなかったんじゃ。
 息子の明光をこわきに抱えて城の抜け穴から逃げ出したんじゃ。
 奥方の鈴姫もそれに続いてすぐ下の洞窟まで逃げたんじゃ。
 この洞窟は今でもあって、吉和の方から見たらドクロの顔をしとるんで、『どくろ岩』というとるが、ほとんどは『帰らずの洞窟』というんじゃ。
 さて、ここまで逃げて来たんじゃが、朝になったら見つかってしまう。
 家来たちを囲んで相談した。
 みんな一緒に逃げたんじゃあ見つかってしまう。そこで三方に分かれて逃げようということになったんじゃ。
 息子の明光は村上水軍を頼って南へ、鈴姫は下の官道を久山田へ、殿さんは北の山道を久山田へ。
 宮地の殿さんは、息子や鈴姫を敵の目からそらせるおとり作戦をとったんじゃ。
 ガヤガヤとわざと声を上げながら、山道を登っていったんじゃ。
 一方、鈴姫は久山田の農家のヒヤへかくまわれた。今でもヒヤという家名が残ってむいるがのう。
 今の水源地の北の方じゃ。そこで鈴姫は夫恒躬が盛武谷で討ち死にしたことを聞いたんじや。
 それから何日かが過ぎた夜、大迫の谷へ出て、すずめ迫の池のふち(今は第二水源地の中)から山越えして栗原の門田へ出たんじゃ。
 鈴姫は木梨の鷲尾山城の杉原民部という殿さんの娘じゃったんで、その方へ逃げるのはみやすかったんじゃが、息子のことが気になったんじゃのう。少しでも息子が逃げた方に近いほうが様子が聞けると思ったんじゃのう。
 じゃがとうとう逃げ切れず自害してしもうた。
 鈴姫が愛用していた鏡を家宝として大切にしている細谷さんという人がいるんじゃが、裏に立派な彫刻がしてあるんじゃ。
 村の人達が、この鈴姫さんをあわれんで建ったんが、鈴姫さんのほこらじゃ。今は花崗岩で造られた立派なほこらに変わっとるが、もともとここに木造の小社があって、500年もの長い間、土地の人々がそれをまつり続けてきたんじゃ。
 栗原町門田のひょうたん池を見下ろして建っている鈴姫のほこら……直径30センチもあるムロの木の切り株が古きむかしをしのばせているんじゃ。
 今は、尾道バイパスの北側になっているが、鈴姫のほこらには、このように悲しい物語があるんじゃ。
 これで「鈴姫のほこら」の話は終わりじゃ。
 (参考~尾道民話伝説研究会発行“尾道の民話・伝説”)
 

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