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zoom RSS 上杉謙信は信玄に塩を送ったのかナァ

<<   作成日時 : 2017/06/30 12:15   >>

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 前回は武田信玄のことをUPしたので今回は謙信のことについて思いを綴りたい。
 それは良く言われているように諺で「敵に塩を送る」という言葉だ。
 これは、争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については援助を与えることの例えだ。
 戦国時代、遠江の今川と相模の北条の両氏から武田信玄が、経済封鎖をされ塩不足で困窮していたとき、長年敵対関係にあった上杉謙信が武田信玄に塩を送って助けたという話が基で、美談として伝わっている話だ。
 
 この上杉謙信、皆様ご存知の通り武田信玄の宿敵として知られ、戦国時代屈指の名将として知られている。
 信玄が統治していた甲斐・信濃は山に囲まれた土地で、塩は産出しない地域だ。
 そういう地理的状況なため、信玄の領国の民達は、周辺からやってくる商人から塩を買わなくてはいけなかった。
 甲斐・信濃を取り囲む周辺国というのは、謙信の越後、今川氏真の駿河、北条氏康の相模などだ。

 戦国時代と言うこともあって、領国を巡っての争いは日常茶飯事ののことであった。
 そういう世情の中、信玄は今川氏真と対立することになる。
 氏真は、相模の北条氏康と連携し、商人達に武田領内への立ち入りを禁止してしまう。
 つまり、日常最も必要な塩を武田領内の民に行き渡らないよう画策したのだ。
 
 この塩を封鎖されたことによって信玄は窮することになる。
 それを見ていた上杉謙信は、信玄に塩を送る旨の書状を届ける。
 なぜそうしたのか?
 上杉謙信に言わせれば「戦いと言うものは弓矢で争うものであって、米や塩で争うものではない。今川や北条の行いは武士(もののふ)の道に背くものだ」ということになる。
 如何に武田信玄と宿敵関係であっても、救わないわけにはいかないというのだ。
 そして、謙信は、商人たちに命令する。
 「塩の価格は通常の半額にせよ」と・・・・

 以上は、謙信の人柄としての逸話であるのだが、疑問視する専門家は多い。
 
 ただ、今川、北条が塩を封鎖したことは史実として残っているのだが・・・謙信が信玄に手紙を書いて自ら進んで塩を送ったという話を証明する史料は存在していないことだけは事実である。

 ただし、今川と北条が塩封鎖を行った際、謙信が同意したという形跡も全くないというのだ。
 ということはどういうことか?

 越後からは、従来通り信玄の領国甲斐・信濃へ商人が行き来できたということだ。
 となると謙信の腹は、今川や北条のように塩封鎖をして信玄の領民を苦しめるつもりは毛頭なかったのではないか?

 その行動が、後に拡大解釈として尾ひれがつき、謙信が「信玄に塩を送った」と言うことになったのではないか・・・と言うのが専門家の考えだ。

 この逸話、戦国期のギスギスした世情の中の美談として語り伝わっているのだが、これは上杉謙信の生きざまが多分に影響しているものと思われるというのだ。
 謙信は「武と義を重んじる武将」と思われていたのは事実らしいので、この逸話が「謙信らしい」として伝わったのではないだろうか?

 謙信は手紙を信玄に送らないまでも、少なくとも塩封鎖は武士のやることではないとは思っていたのではないだろうか?
 だから、今川、北条からの協力依頼があったにも関わらず知らぬ顔をしていたのだろうと推測できるのだ。
画像

                上杉謙信像

 
 


 
 
 

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