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尾道市の民話(拳骨和尚)・7
尾道市の民話(拳骨和尚)・7  むかし、むかしのことじゃ、尾道でものぉ、よう相撲の場所が開かれていたんよ。  力士にもいろいろあってのぉ、大名お抱え力士からその地方の力士までみんな力自慢ばかりじゃった。  江戸時代の終わりごろ、尾道で相撲の興行が開かれていたんじゃ。  その場所での突然「わっはっはっ……」と大きな笑い声がしたんよ。  丁度立ち上がろうとしていた横綱は、驚いて観客席を怒りの目で見回したんじゃ。  「誰じゃ大声で笑う奴は」  「わっはっはっ、怒るな関取、あんたの腰があまりにふらついているんで、つい笑う... ...続きを見る

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2009/01/07 07:35
尾道市の民話(海福寺の三つ首さま)・6
尾道市の民話(海福寺の三つ首さま)・6                    海福寺山門 ...続きを見る

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2009/01/02 07:31
倉吉市の歴史散歩(打吹山城跡)・8
倉吉市の歴史散歩(打吹山城跡)・8 所在地〜倉吉市仲ノ町  倉吉駅から旧倉吉市街地へ向って進むと、樹木が繁る秀麗な打吹山(標高208m)の山容が見えてくる。この山に城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義(もろよし)で、延文年間(1356-61)のここという。  山頂からは北は日本海、東西は倉吉市街やその近郊が一望できる。現在、山頂部と中腹に曲輪跡や石垣が残っているが、この城を整備したのは近世初期豊臣政権下の南條氏である。  室町時代を通じて伯耆山名氏の本城となったわけでが、応仁の乱後山名氏の権勢は衰え、伯耆国内の国人衆の自... ...続きを見る

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2008/12/31 17:12
倉吉市の歴史散歩(大蓮寺)・7
倉吉市の歴史散歩(大蓮寺)・7 所在地〜鳥取県倉吉市新町1丁目2411                         大連寺 ...続きを見る

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2008/12/29 15:58
倉吉市の歴史散歩(定光寺)・6
倉吉市の歴史散歩(定光寺)・6 所在地〜鳥取県倉吉市和田不入岡  倉吉市街北西の金森町から国道313号を北へ約1.5km進むと、和田の集落があり東のはずれ山麓に定光寺(曹洞宗)が所在する。  定光寺は、室町時代の3代将軍義満の治下、伯耆守護山名氏之ゆかりの寺である。  開山は、能登総持寺派、蛾山韶碩(がざんしょうせき)の弟子通玄寂霊(つうげんじゃくれい)の法孫で天真自性の弟子の機堂長応(きどうちょうおう・俗姓南條氏)である。  室町時代の定光寺文書(県保文は、守護大名氏・戦国大名尼子氏の盛衰を物語る。  本堂横から山... ...続きを見る

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2008/12/28 06:10
倉吉市の歴史散歩(田内城跡と岩阿弥陀)・5
倉吉市の歴史散歩(田内城跡と岩阿弥陀)・5 所在地〜倉吉市巌城  山名寺を見て、北に堤防下の道を50mほど行くと、山麓に仏足石ともよばれる巨岩の重なる小さな山がある。  ここが巌城田内城跡である。  建武4年(1337)、初めて伯耆守護に任ぜられた山名時氏が、まず最初に守護所を設置したところといわれている。  田内城跡のかつて天神川に洗われていた仏足山山麓の巨岩には、「南無阿弥陀仏」と念仏が刻まれている。  岩阿弥陀とよばれるこの念仏碑は、江戸時代に倉吉の町人たちが洪水で死んだ人々の供養のために刻んだものと伝えられている。  ... ...続きを見る

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2008/12/27 05:39
倉吉市の歴史散歩(山名寺と三明寺古墳)・4
倉吉市の歴史散歩(山名寺と三明寺古墳)・4 所在地〜鳥取県倉吉市巌城字寺山  倉吉旧市街の北方、堺町バス停から北へ国道313号を越え、三明寺橋を渡ると、三明寺集落の奥に曹洞宗山名寺がある。  南海宝州を開山として、延文4年(1359)伯耆守護山名時氏が自分の菩提寺として建立した大雄山光孝寺の跡である。  時氏の長子師義(師氏)の菩提寺正受院もこの寺にあった。五山十利制で諸山の一つ光孝寺は「新呉の絶境に建てられ、そこは維場の勝藍の地「山の名を大雄といい、寺を称して光孝という」と京都五山の禅僧惟肖得岩が称嘆した。  後に時宗寺院の三明... ...続きを見る

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2008/12/26 05:54
倉吉市の歴史散歩(廃寺と遺跡)・3
倉吉市の歴史散歩(廃寺と遺跡)・3 所在地〜倉吉市駄経寺町  倉吉旧市街の東、下田中の上灘小学校の玄関前に2個の礎石が置かれている。これが大御堂(駄経寺)廃寺の礎石である。  その一つは長径約2.4m、中央に径86cm・深さ13cmの一重の円孔がある。もう一つの礎石は長径1.3m、中央には径80cmk柱座がつくりだしてある。  一重円孔の礎石は層塔の心礎で、円座のある礎石は四天柱座である。これらの礎石は駄経寺跡から運搬されたものである。  廃寺跡は江戸時代、少し高くなっていて大御堂とよばれ、「昔は大伽藍があり、今でも大き差... ...続きを見る

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2008/12/25 04:57
倉吉市の歴史探訪(大岳院)・2
倉吉市の歴史探訪(大岳院)・2 所在地〜鳥取県倉吉市東町  南総里見八犬伝(滝沢馬琴作)のモデルとなった「里見家」の墓所である大岳院。  曹洞宗大岳院は、もと駿河(静岡県)沼津城主中村彦左衛門一栄公の菩提寺で慶久寺と称していたが、一栄公の移封とともに伯耆(鳥取県)八橋に移ってきた。  公の没後、嫡子の倉吉城主中村伊豆守栄忠公が亡父の菩提をとむらうため、一栄公を開基としてその法名「萬祥寺殿大岳周大居士」から、あらためて現在地に「萬祥山大岳院」と名付け、公の実兄で慶久寺十世孝山智順禅師を御開山に迎えて開創された。  時に慶... ...続きを見る

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2008/12/23 07:17
倉吉市の歴史探訪(町並と土蔵)
倉吉市の歴史探訪(町並と土蔵)  倉吉市は、打吹城を中心に栄えた城下町といわれているが、いつどのように形成されたかは不明である。  だが16世紀なかばには人家300余を数えたといわれている。  この打吹城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義で、延文年間(1356-61)のことといわれている。  元和元年(1615)一国一城令で、この打吹城は廃城となった。  倉吉市東仲町、西町にかけて、古い町並が残り裏手の玉川沿いには江戸時代末期から明治にかけて建てられた町家の土蔵群が並んでいる。  江戸初期に酒蔵、油屋、米屋等が西... ...続きを見る

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2008/12/22 14:36
尾道市の民話(鈴姫のほこら)・5
尾道市の民話(鈴姫のほこら)・5                   鈴姫のほこら ...続きを見る

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2008/12/21 08:45
尾道市の民話(千光寺の玉の岩)・4
尾道市の民話(千光寺の玉の岩)・4   ...続きを見る

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2008/12/10 19:02
尾道市の民話(かんざし燈籠)・3
尾道市の民話(かんざし燈籠)・3                八坂神社〜尾道市久保2丁目 ...続きを見る

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2008/11/10 05:30
尾道市の民話(岩から抜け出した不動明王)・2
尾道市の民話(岩から抜け出した不動明王)・2                民話のモデルの岩に刻まれた不動明王 ...続きを見る

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2008/11/03 07:20
尾道市の民話(三成の浦島太郎)・1
 昔むかし、水成(三成・ミナリ)に嶋子(シマコ)という若者がいたそうじゃ。  その若者は大層心根の優しい者じゃったそうなんじゃ。  近くの山から神棚に供える松を採っちゃあ、玉の浦(尾道)に持って行き、売って商売をして両親を養っていたそうなんじゃあ。  嶋子は玉の浦に行くたびに浜に出て、龍神さんへの奉(ササゲ)物として松を一本海へ投げ入れて手を合わせていたそうなんじゃあ。  ある日のこと、いつものように玉の浦の浜に出て、松を投げ入れて拝んどると、突然沖の方からザワザワと大波が押し寄せて来... ...続きを見る

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2008/10/28 17:22
三原市の歴史散歩(米山寺)
三原市の歴史散歩(米山寺)  小早川家歴代の墓がある寺で、石造宝篋印塔20基が、10基づつ2列に並んでいる。  場所は、三原市沼田東町納所(のうそ)で、JR本郷駅から約4kmのところである。  三太刀バス停で下車して、納所橋を渡って山道を登ること約1.5kmであるが、車で行ける。  しかし、狭く曲がりくねっているところもあり注意が必要である。  この寺は、曹洞宗東廬山米山寺で、沼田荘地頭小早川茂平が嘉禎元年(1235)に建立した氏寺である。  宝篋印塔は2列に並んでいるが、後列左端の塔は2.5mで最も大きく、美し... ...続きを見る

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2008/10/25 18:57
西国街道の歴史散歩(三原市・法常寺)・18
西国街道の歴史散歩(三原市・法常寺)・18 所在地〜広島県三原市西宮町  西宮八幡宮から参道を下って旧西国街道を西野川沿いにさかのぼり、法常寺バス停の一つ手前の路地を北へ上ると、東日山曹洞宗法常寺がある。  『三原志稿』によると、もと天台宗で東日山法輪常転禅寺といい、加茂郡新庄村(竹原市)の木村城北麓にあり、竹原小早川氏の菩提寺であったが、天文18年(1549)小早川興景が大休和尚を請じて曹洞宗に改めた。  その後、三原城下に移され、慶長2年(1597)小早川隆景が三原城で死去したとき、葬儀がこの寺で行われ、境内にその隆景公祠が祀ら... ...続きを見る

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2008/10/06 19:09
西国街道の歴史散歩(三原市・三原八幡神社)・17
西国街道の歴史散歩(三原市・三原八幡神社)・17 所在地〜広島県三原市西宮町宮前  順勝寺前から山陽道を西へ、西惣門跡を過ぎて西宮バス停から北西に向う参道を上がると、大畑山の南に張り出す丘陵(宮山)に三原八幡神社が鎮座している。  西八幡宮とも西宮八幡宮とも称する。もと西野村大西谷国広に鎮座していたのを天正3年(1575)小早川隆景によって現在地に移された。  城の西に鎮座するから西宮というのである。  貞享3年(1686)に本殿を再建、大畑山の南に延びる丘陵六本山の南麓にある真言宗万福寺(西町)が別当寺である。  広い境内には能角力... ...続きを見る

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2008/10/01 18:52
西国街道の歴史散歩(三原市・順勝寺)・16
西国街道の歴史散歩(三原市・順勝寺)・16 所在地〜広島県三原市西町  大善寺を出て、県道三原・東城線を恵下谷沿いに南下して、旧山陽道との交差点中橋で右折する。西進して間もなく順勝寺バス停の北側に三原市の重文となっている山門が目に入る。  三原城内にあった御作事奉行所の門を明治10年(1877)に移転したもので、四脚門・切妻造・本瓦葺である。  この高隆山順勝寺はもと豊田郡本郷町の高山城下にあった臨済宗の寺院で、文明3年(1471)田坂善応が真宗の順勝寺に改めたものを、小早川隆景が三原城下に移したと伝わる。  天正15年(1587... ...続きを見る

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2008/09/27 06:59
西国街道の歴史散歩(三原市・大善寺)・15
西国街道の歴史散歩(三原市・大善寺)・15 所在地〜広島県三原市西町  香積寺の側の恵下谷川を挟んで対面にある寺が、増上山広慶院と号する大善寺である。  もと豊田郡本郷町新高山の山麓にあったが、天正10年(1582)この地に移された。天正年中回祿にかかったが、三原浅野氏第四代忠義の母月渓院殿心誉栄讃珠光大法尼の菩提寺として知られる。  境内の墓地に月渓院の宝篋印塔があり、「備之後州三原城主浅野氏忠義之母、寛永17年庚辰年六月誕生、七十四歳正徳三年臘月五日於三原卒」と刻まれている。寺伝によると月渓院は徳川三代将軍家光の御落胤で、春日局... ...続きを見る

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2008/09/12 07:05

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