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zoom RSS 石田三成の逸話

<<   作成日時 : 2017/02/15 11:22   >>

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 前回UPした明智光秀と同じく、歴史ファンにもあまり好印象を与えていないのが「石田三成」だろう。
 しかし、小生はちょいと違うと思うのだ。
 子供の時秀吉に仕官し、その後秀吉に取り立てられて一国一城の主に駆けあがった三成。
 他の武将と違って、秀吉に相当な恩義を感じていたのではと思っている。
 それが秀吉死後の「関ケ原の戦い」だと思うのだが・・・・

 そして今回は、その石田三成の逸話の話だ。
 二つほど記すがいずれも知られている話なので知っている方はスルーしてください。

〇 三献の茶(秀吉との出会いの話)
 三成の逸話の中でも、最も有名なのが、この逸話ではないだろうか?
 「砕玉話(武将感状記)」を要約すると・・・
  
  長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていた。
  その帰途、喉の乾きを覚えたので、ある寺に立ち寄って茶を所望したという。
  対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れ
 て出した。
  喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。
  次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。
  秀吉が「アレッ」と思い、試しにもう一杯所望したという。
  すると小姓は、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出したというのだ。
  『相手の様子を見て、その欲するものを出す』、この心働きに感じ入った秀吉は、
 その小姓を城に連れて帰り家来としたというのだ。
  この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったという逸話である。

 喉の乾いている相手に、まずは飲みやすい温めの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう・・・この逸話は気配りの進めとして、広く語られている。

三献茶の舞台となった「ある寺」とはどこか、ということなのだが、現在のところ大原・観音寺と古橋・法華寺が有力であるというのだが、観音寺の方には「三成茶汲みの井戸」がある。

 ただし、この逸話が真実か?創作か?、ということになると大いに疑義があるという。
 逸話が載っている史料が、いずれも江戸期の俗書の類であること、三成の息子が記した寿聖院「霊牌日鑑」では三成が秀吉に仕えたのは、十八才の時に姫路で、となっており、この逸話とは符合しないからだ。
 この逸話は、江戸期に創られた他の多くの三成の話と同じく、三成の出自を寺の小僧と貶めるためで創られたという説もあるというのだ・・・

 滋賀県の長浜駅前には、この三献茶に因んだ三成と秀吉の像がある。

〇 一文無しになった話
  一つ目の逸話として「三献の茶」を記したのだが、気配り上手の三成の印象は強い。
 幼少のころから人並み優れた才知と機知きがあったのであろうが、金遣いという
 ことになると上手くはなかったようである。
  島左近を高録で召し抱えた時、「さすが治部少よ」と評判になったものの、盟友の
 「大谷吉継」だけは「高録を給すれば良いと思ったら大間違いだ。むしろ少ない方が、
 主人の心が通じ、一命を投げ出そうという気持ちになるものだ」と苦言を呈したという。
  
  関ヶ原の戦いの直前、三成は財務に強かった「増田長盛」に手紙を書き窮状を訴え
 たという。
  「金銀を遣うのは今である。自分は手元にある金は全部使ってしまい困っている。
 なんとかできぬか」という内容だったという。

 三成の言葉には偽りはなかったという。
 それは西軍が敗れ、東軍が三成の居城「佐和山城」を接収し、城中をくまなく探した
 ものの一銭の蓄えもなかったといのだ。
画像
       石田三成
  
画像
長浜駅前に立つ、秀吉三成「出会いの像」

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