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zoom RSS 戦国時代の剣豪〜上泉信綱

<<   作成日時 : 2016/09/04 16:27   >>

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 来春、剣術「新陰流」の創始者で戦国時代の兵法家、上泉信綱を主人公とした特別ドラマ「剣聖上泉伊勢守信綱物語(仮称)」が放映されるという。
 BS放送で、信綱役は村上弘明だというが、さてどんな仕上がりになるのだろうか?
 上泉信綱は剣豪というより「剣聖」と言った方が相応しい人物であり、TVドラマも「剣聖」と付けられている。

 上泉信綱は、戦国時代の剣豪だが、史料上には、山科言継の日記『言継卿記』に、永禄12年(1569)1月15日 - 元亀2年(1571)7月21日まで32回みえているといわれる。
 これによると「大胡武蔵守」として多く現れ、「上泉武蔵守(信綱)」などとあるか、現在でも言われている「伊勢守」とはみえないという。

 上州の大胡氏の一族である上泉家に生まれているというのだが(生年は推測で良くわかっていない。
 没年には天正10年(1582)などの諸説があるがこれまた判然としないらしい。
 名前の読みは「かみいずみ」または「こういずみ」と云うのだが・・・本姓は藤原氏で、藤原秀郷を祖とするとされる。
 初めのうちは「秀綱」と言っていたらしいが後に「信綱」と改名したとされる。

 上泉信綱は「伊勢守」を称したとされているのだが、資料ではその事実はなく、『言継卿記』には「武蔵守」の記述があり、本人も武蔵守を称していたらしい。

 兵法は「神道流・陰流」を学び、その奥義に達し陰流から「奇妙を抽出して」、新陰流を興したといわれている。
 また、「ふくろしない」という割った竹を束ねたものに、獣のなめした皮を貼り付けた、稽古道具を開発している。
 これが現在の竹刀の原型と言われているのだ。
 これ以前は稽古でも木刀を使うのが一般的であったため、けがや死亡するという事故が絶えなかったらしいが、この袋竹刀の導入によって稽古中の大怪我や死亡事故などの問題が改善されることになったという。
 
 若いころ、関東一円を遍歴して剣術の修行をしたと伝わるのだが・・・
 先に記したように、新陰流と呼ばれる新しい兵法を創始しているが、後に高弟の柳生宗厳・その息子宗矩に伝わる。

 上泉信綱の伝説的話がある。
 信綱一行が尾張のとある村に着いた時、賊が村の子供を人質に取って立て篭もっている現場に遭遇した。
 村人たちは子供を助けようとするものの、下手に動けば子供は興奮した賊に殺されかねず、手を出しかねていた。
 これを見た信綱は、居合わせた僧侶から袈裟を借り、自身の髪の毛を剃り、握り飯しを手に持った僧の姿で賊の前に進み、「そなたも子供も腹がすいているだろう。
 どうかこの握り飯しを食べてはくれぬか」と言い、にぎりめしを賊に向かって放り投げたという。
 賊が握り飯しに気を取られると、すかさず信綱は男に駆け寄りと、あっというまに賊を取り押さえた。
 これを見ていた僧は感動し、貸した袈裟をそのまま信綱に贈ったと言う。

 先述のように剣術の修行のため関東一円を歩きまわっているが、後に上野(こうづけ)の長野業正の家臣となっている。
 十数年に渡って武田信玄との戦いで活躍したという。
 その時信玄は、信綱の力強い働きに感服し、武田家への士官を勧めたかこれを固辞している。
 その後、上洛し、正親町天皇の前で剣の妙技を披露し、名声を高めたというのだ。
 時の将軍足利義昭に召され「天下一」の称号を貰ったという。
 信綱の高弟に当たるのが先述した柳生宗厳である。
 彼・宗巌は徳川家康に新陰流の秘伝を教えたという。
 家康は宗巌に徳川家の兵法師範になるよう求めるのだが、高齢を理由に断り代わりに息子の宗矩を推し、これが認められることになる。
 
画像

        前橋市・上泉自治会館前の上泉信綱像・東京新聞から
 
 
 

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
2014年の清正の記事にコメントできないのでこっちにします
石田三成こそ、豊臣家を滅ぼした張本人だって言う歴史作家の人もいますけどね。それに正則はともかく清正は秀吉から結構酷い扱い受けてるしな。だからあんなやつに忠義尽くす必要ないと思うよ。猿自身が酷いことばっかりして家臣ないがしろにして、家臣の気持ちが離れるようなことばっかりしてたくせに、忠義とか笑っちゃうよww
どうせこれ書いた人はそんなこと知りもしないんだろうけどww 歴史あんまり知らなさそうだもんねww 逸話レベルしか知らなさそうww
それに大坂の陣のとき、加藤家からも福島家からも兵糧豊臣家に差し出してんだけど、どうせこれ書いたおたくはそんなこと知らないんだろうけどねww 狭い偏った視点でしか物事を見れないしょうもないジジイだなww
匿名
2016/10/05 21:58

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