テーマ:戦国時代

信長公記での桶狭間の戦い~その2

 前回に続き信長公記での桶狭間の戦いを記したい。  NHKの「麒麟くる」は何時から復活するのか気になるところだが今回も桶狭間の戦いについて記したい。  前回は、今川義元が先陣の活躍で織田側の各砦を次々攻略したときから義元が油断しきったところまでであったがその続きとしていきたいと思う。  信長公はさらに中島砦に進もうとし…
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「信長公記」での桶狭間の戦い

 6/7のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、合戦場での義元討ち死にの場面に新鮮さを感じた。  毛利新介が八艘飛びのような大ジャンプを見せ、今川義元に槍を突き刺すのだ。其の時義元の瞳にかすかに毛利新介の飛び掛かってくる姿が映るという手法だ。    視聴者もこの場面が印象に残っているというから斬新だったのであろう。 これで、この「麒…
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絵本太閤記に描かれる桶狭間の戦い 今川義元討ち死に

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」では、いよいよ桶狭間の戦いが始まるのだが、絵本太閤記では信長出陣時雨雲が垂れ込み荒れに荒れたことも描かれているが、この天候も熱田神宮の神風だとしている。  午後2時(未の刻八ッ)、信長は眼下に義元の陣・田楽狭間を見下ろす太子ケ嶺の上に息を殺して集まった。雨は次第に小止みとなり、雲の切れ間も見え始めた…
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今川義元が桶狭間に出張る 絵本太閤記では・・・

 5/31のNHK大河ドラマ「麒麟が来る」は観なかった。  新聞の予告記事では義元がいよいよ尾張を攻めるらしいと描かれてはいたが・・・  今川義元と言えば当時東方にデンと構えている北条氏、北方の雄武田信玄と縁組をし、三国同盟を結んでいた。  これで後方の憂いは少なくなっている状況だったので尾張攻めを決意するというのが定説。 …
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光秀が信長に仕えることとなった切っ掛け 絵本太閤記では・・・

 NHK大河ドラマ「麒麟がくる」は、「コロナ」の関係で6月からしばらくの間中断するという。  今回も絵本太閤記からの明智光秀に関する話をしたいと思うのだが・・・越前での場面はどのようになっているのだろうか?  光秀が信長に仕官するきっかけとなったのは永禄5年(1562)の秋のことだという。  この時加賀一揆がおきている。首…
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絵本太閤記に見る明智光秀像

 今回も絵本太閤記からのブログなのだが、明智光秀のことに触れたい。  この絵本太閤記に出てくる光秀は「武智光秀」と姓が変えられて登場して来るのだが、面倒なので「明智」として述べていきたいと思うのであしからず。  皆さんもご存じのように、足利13代将軍義輝が松永・三好一党に殺されたことはご存じだろう。  この義輝には2人の弟がい…
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絵本太閤記での聖徳寺の信長・道三の対面

 我々が知っている信長の正室は、濃姫といい斎藤道三の娘であることを知っている。  これは道三が、美濃と尾張が形の上だけでも和睦し、あわよくば尾張を奪ってやろうと仕掛けた婚姻であることも知っている。  信長の父である信秀とは幾度も道三は争っているのだが、その家督を継いだ信長がどの程度の器量があるのか知りたくて堪らなかったのであろう…
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絵本太閤記での木下藤吉郎 織田信長に仕える場面

 今回も「絵本太閤記」から木下藤吉郎について述べていきましょうか。  ドラマ「麒麟がくる」では、いよいよ木下藤吉郎も織田信長に仕える場面が出てくるんでしょうネ。  脚本ではどのように筋立てしているのでしょうか? まあ、我々が知る藤吉郎の織田家仕官については、尾張での旧知で織田家の小者「一若」と「ガンマク」という人物が出てくるのだ…
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木下藤吉郎の松下家での働き

 前回に続き日吉丸(木下藤吉郎)の話しだが、『絵本太閤記』には以下のようになる。  猿に似た日吉丸(以下藤吉郎)と言われ松下家に仕えた藤吉郎。愛嬌があって皆から好かれたらしい。最初加兵衛は藤吉郎を草履取り等の仕事を与えていたという。この藤吉郎、敏捷で機転が利いた働きをしたので、段々と認められるようになり、松下家の納戸の出納役を任さ…
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「麒麟がくる」木下藤吉郎の登場から・・・

 またまたNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」からなのだが、この13回から木下藤吉郎が出てきた。  だが、藤吉郎が佐々木蔵之介と言うのが気になりますナァ。伝えられている秀吉とはイメージがあまりにも違い過ぎるからだ。  ちょいと図体がデカすぎるのだ。これでは迫力のない信長と対峙しても、その時点からどちらが主人かと言うのが気になる。 …
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歌舞伎の元祖出雲の「阿国」は実在していたのか?

 4/2 NHKの番組で「日本人のお名前!」という中で、歌舞伎の元祖「出雲の阿国」のことが出てきた。  過去小生も出雲大社にお参りした後「阿国」の墓所を訪ねたことがあるので懐かしく思い出した。  住所は島根県出雲市大社町杵築北2529とあり、「出雲大社の観光センター」から少し431号線を稲佐の浜へ進んだ道路の脇にある。  墓石…
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秀吉の軍師 竹中半兵衛

 NHK大河ドラマ「麒麟が来る」はそこそこの視聴率を稼いでいるようだ。  小生、あの色彩がどうも気になって仕方がないのだ。あまりにもファンタチックで現実離れをしているからだ。  今後信長、秀吉、家康が登場してくるのだろうが、脚本家はどのような筋立て用意しているのか?  マァ想像の世界だからどのように進んで行っても一向にかまわない…
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安土城を焼失させた犯人は誰?

 今回も明智光秀に絡む話だ。  織田信長が建てた安土城、絢爛豪華の造りでそれは見事にものであったと言われているが今一ピンとこない。  築城の開始は天正4年(1576)のことで、完成したのが天正7年(1579)のことだったという。  以後、信長はここに居住することになる。  当時の資料遺跡から推測すると天守閣の高さは約37Mの…
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明智光秀は本当に名家出身だったのか?

 前回に続き戦国武「将明智光秀」のことだが、この光秀を表すとき、「当時の戦国武将の中でもとりわけ教養が高く、故実や典礼、連歌や茶の湯を好む武将だった」というのだ。  一方では「内政に長けており、領民に対しては慈しみをもって扱ったので慕われた」ともいうのだ。  果たしてそうだったのかナァ・・・・  大体が明智光秀一代記を表すとき…
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「本能寺の変」信長を討った光秀の動機は?

 久しぶりの投稿なのだが、現在NHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀を取り上げている。  最新の技術を用いて撮影しているというが今いちピント来ないのだ。  あまりには原色が強過ぎて、自然界とはかけ離れた色の気がして、ファンタジーの世界に迷い込んだ感がある。  このドラマの結末は年末になるのだろうが脚本家はどのような動機にする…
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「本能寺の変」10日後の光秀書状発見

 本能寺で織田信長を討ち果たした明智光秀が、10日後に反信長派の豪族に宛てた書状が発見されたという。  詳細は引用文の通りだが、信長誅殺にはいろんな説があるので、専門家はこの書状から真実をどう読み解くのかは興味がある。 【産経ニュース】9/12 光秀の狙いは室町幕府再興か 「本能寺の変」10日後の書状原本発見 明智…
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加藤清正の最後とは?

 加藤清正が築城した熊本城、この度の地震で大きな被害を受けた。  この城、熊本市民にとっては自慢の城だけに早い復元を期待しされているのだが・・・・  その清正の最後はこの熊本城内であったという。  慶長十六年(1611)三月二十七日、二条城での家康・秀頼の会見後、熊本に帰国の途中、俄に船の中で病み、六月二十四日熊本にて没したと…
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戦国武将の中でも哀れさを誘う武田勝頼

 戦国武将・武田勝頼を語る時、両極端に分かれる。  一つ、勝頼は武田氏を滅ぼした無能な武将である。  一つ、勝頼は有能だったが、偉大な父・信玄の残した負債に押し潰された不運な武将である。 と言ったような批評の分かれ方が多い。  果たしてどちらだったのであろうか?  今となれば証明のしようもないが、無責任な話をすれば両方とも…
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上杉謙信は信玄に塩を送ったのかナァ

 前回は武田信玄のことをUPしたので今回は謙信のことについて思いを綴りたい。  それは良く言われているように諺で「敵に塩を送る」という言葉だ。  これは、争っている相手が苦しんでいるときに、争いの本質ではない分野については援助を与えることの例えだ。  戦国時代、遠江の今川と相模の北条の両氏から武田信玄が、経済封鎖をされ塩不足で困…
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武田信玄は本当に上洛しようとしたのかナァ

 今日は武田信玄のことについて記したい。  とは言っても大したことではないのだが・・・元亀3年(1572)10月3日甲斐の武田信玄が西に向けて出立した。  兵約27000人というから大掛かりな西上だろう。  この西上を、信玄が上洛のためだったと言われていることに疑義があるのだ。  本当に上洛のためだったのであろうか?  とする…
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前田利家の死の直前

1/20に秀吉の死の間際をUPしたのだが、その秀吉の盟友と言われたのが前田利家だ。  秀吉から五大老に推された利家だが、秀吉の死後にも豊臣家の嫡男「秀頼」のことを気に留めていたという。  秀吉は慶長3年(1598)8月18日に亡くなるのだが、利家はそれから僅か半年後の慶長4年3月3日に大坂で亡くなっている。  病名は不明だと伝…
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石田三成の逸話

 前回UPした明智光秀と同じく、歴史ファンにもあまり好印象を与えていないのが「石田三成」だろう。  しかし、小生はちょいと違うと思うのだ。  子供の時秀吉に仕官し、その後秀吉に取り立てられて一国一城の主に駆けあがった三成。  他の武将と違って、秀吉に相当な恩義を感じていたのではと思っている。  それが秀吉死後の「関ケ原の戦い」だ…
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明智光秀の連歌の話

 先日、知人等と一杯飲みながら俳句の話をしていた。  俳句につてはそれほど興味はないのだが、次第に話が逸れ始めて、光秀が本能寺の変を起こす前に「連歌」を通じてそれらしきことを口にしていたという方向に行ってしまった。  みんな歴史が好きな連中なので自ずからその方向にいったのであろうが、それにしても皆博学なのには驚いたのだ。  そこで…
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豊臣秀吉の死の直前は秀頼の心配だけだった

 小生が子供の頃の戦国時代の英雄と言えば羽柴秀吉であった。  なぜ豊臣秀吉ではないのか?と問われれば、「天下人になるまでの秀吉が好きだから」と答えることにしている。  天下を取るまでの秀吉は信頼する主君信長を一途に頼り、誠心誠意忠誠をつくし、自分の持てる能力を発揮しているところに興味があったからだ。  豊臣性を名乗った秀吉はどうし…
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信玄VS謙信の違い 戦は結果なのか経緯なのか?

 久しぶりのUPです。  休んでいる間に次の題材は何にしようかと考えることが多かったのだが、最後には謙信か信玄にたどり着いてしまう。  小生にとっての戦国時代を象徴する武将は、武田信玄と上杉謙信に絞られてしまう。  それほど武名高い二人なのであるが、性格や戦法は両極端の二人でもある。    二人に関しては次のような話が伝わって…
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戦国時代に合戦で使用された小道具

 戦国時代、合戦に使用された必要な小道具は種々雑多であった。  特に大将の小道具は「大将の六具」と言われる位大事なものとされたらしい。  身に着ける「鎧」、「太刀」、「采配」、「軍配」、「鞭」、「扇」を指している。    「合図の六具」とは、「鉄砲」、「のろし」、「旗」、「法螺貝」、「鐘」、「太鼓」だと言われている。    …
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信玄・謙信の軍旗「風林火山」と「毘」

 武田信玄の軍旗。  あまりにも有名な旗である。  これはご存知「孫子」の書から『疾如風徐如林侵 掠如火不動如山』という一句をとり、紺地に金で染めた旗印だ。  他にも、戦勝祈願を行った神社の名前「諏方南宮上下大明神」などと記したものがある。 ○ 其疾如風~(その疾きこと風の如く) ○ 其徐如林~(その徐なること林の…
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戦国時代の軍旗・指物・馬印など

 映画やTVドラマでの戦国時代の戦場。  ちょいと想像すれば賑やかに感じるほどの場面が浮かぶことであろう。  旗印があれば馬印もあり旗指物まである。  実際に戦せず対峙しているだけであれば何かの祭りの如くの場面ではなかろうか?  つまり殺伐とした戦場を華やかにしているのは「軍旗」「指物」「馬印」があるからだと云っても良いくらいだ…
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戦国時代の剣豪~上泉信綱

 来春、剣術「新陰流」の創始者で戦国時代の兵法家、上泉信綱を主人公とした特別ドラマ「剣聖上泉伊勢守信綱物語(仮称)」が放映されるという。  BS放送で、信綱役は村上弘明だというが、さてどんな仕上がりになるのだろうか?  上泉信綱は剣豪というより「剣聖」と言った方が相応しい人物であり、TVドラマも「剣聖」と付けられている。  上…
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戦国時代の豪傑・剣豪~塙団右衛門

 出自については正確には分かっていないと言われており不詳である。  尾張国の人で、同姓であるため、織田氏の家臣・塙直政の一族か縁者とする説もあるが、遠州横須賀衆で浪人となった須田次郎左衛門という人物が本人であるという説や、上総国養老の里の出身で千葉氏の家来だったが、小田原北条氏家臣で「地黄八幡」の旗印で知られる北条綱成に仕えたという説…
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