女好きの秀吉を袖にした女達

 秀吉ほど女好きとして名の高い武将も少ないのだが、これは自分の子供を授かるために、やみくもに手を出したという方が良いのかもしれない。

 確かに女性も好きだったのであろうが、小生は前者の方を取りたいと思う。
 
 同じ手を出すならと、素性が良くて美人が良いとばかりの女漁りと云っても良いぐらい手を出している。
 何しろ天下人の関白様なのだから、靡(なび)かない方がおかしいと思うのだが、中々そうもいかないのが世の常であろう。
 当時日本に滞在していたルイス・フロイスが書き残したものに「大阪城内に300人を越す側室を抱え、城というより遊郭だ・・・」と言っている。

 つまり秀吉が侍女にも次々と手を出し側室としたので先の記述になったものと推測はできる。
 それほど女好きだったとも云える。

 根が百姓上がりの天下人・秀吉であるから、素性が良くて美人であれば誰でも良かったともいえる。
 しかし、そうは云っても感情を持った人間に変わりはないので、いかに天下人でも嫌いは嫌いとして完全拒否した女性も多いのだ。

 そのよう女性の中で主な例を挙げると
 ○ 信長の妹「お市」
    知っての通り織田信長の妹で、絶世の美人だと伝わっている。
    浅井長政に嫁いだのだが、天正元年(1573)に長政が戦死して未亡人となった。
    美人好きの秀吉も当然好きになった筈なのだが、信長が健在だったころは手を
  出すわけにはいかなかったと思われる。
    其の後、信長が本能寺の変で死んでしまうのだが、柴田勝家にお市を奪われて
  しまう。
    後に、秀吉は柴田勝家と戦い討ち取ってしまうのだが、お市は殉じて自害して
  しまって成就ならずとなった。(伝えによると、市が百姓上がりの秀吉を徹底して嫌っ
  ていたといわれている)

 〇 信長の娘「冬姫」
   信長の娘で、お市に似た美人だったらしいのだが、秀吉が目をつけたのだ。
   その時冬姫は、既に結婚しており、蒲生氏郷の妻となっていた。
   其の後未亡人となった冬姫に猛アタックし、幾度も側室に上がるよう誘いをかけ
   るも、冬姫は固辞しとうとう尼さんになってしまった。
   秀吉も冬姫に未練があったのだろうが、蒲生家を「家中不和」との理由づけをし
  て、会津92万石から宇都宮18万石に格下げしてしまったのだ。
   こういうところは、現代でいう「いやらしい男」ではある。

 ○ 千利休の娘「お吟」
   天正19年(1591)利休は秀吉の命で切腹するのだが、その理由は、利休が娘の
  「お吟」を差し出すのを拒否したからだといわれている。
    「お吟」は利休の後妻の連れ子で、堺の商家に嫁いでいたというのだが、義理
  の娘を庇って死んだという説だ。

 〇 細川忠興の妻「ガラシャ(玉)
   秀吉が狙ったとされる美女で、忠興は妻玉が秀吉の目に触れるのを極力避けた
  と言われている。
   忠興は、戦場から玉に手紙を出し、秀吉には注意するよう促していたという。
   玉は秀吉との謁見の場がもうけられたとき、故意に短剣を落として見せ、「あんた
  (秀吉)の側室になるくらいなら死んでやる」との気構えを見せてもいる。
   

 という具合に、秀吉は美人であればやみ雲に口をかけて口説こうとしているのだが、これに応えず完全拒否した女性も多くいるのだ。

 小生は秀吉は好きなのだが、天下を取るまでの秀吉であって、其の後の生き様はあまり好きにはなれない。
 
 
 

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