北条早雲の「火牛の計」戦法

 戦の都度用いたわけではないのだが、早雲の得意戦法と云われている。
 この戦法は、牛の角に松明を括り付けて敵陣の中を暴走させる戦法をいう。

 もともと中国戦国時代の斉国の武将・田単が用いた「火牛の計」の故事を下敷きに後代潤色されたものであると考えられている。
 この元祖「火牛の計」は、角には剣を、そして尾に松明をくくりつけるというもので、突進する牛の角の剣が敵兵を次々に刺し殺すなか、尾の炎が敵陣に燃え移って大火災を起こすというものである。
 この方法であれば、尻をあぶられてたまらない牛は前方に猛突進するというのは、実際に上手くいくかどうかはともかく、理屈としてはあっている。
 
 日本では、木曽義仲が倶利伽羅峠の戦いで用いたことが史実に残っている。
 早雲は、明応4年(1495)、早雲がまだ伊勢長氏を名乗って伊豆一国の領主であったころ、小田原城(大森藤頼)攻略の機会を狙っていた。
 夜間、1000頭の牛の角に松明を附けて、一気に小田原城を包囲して大森軍を追放したと伝わる。
 以後この「火牛の計」が早雲の得意戦法といわれているのだ。
                   
                       北条早雲像
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