戦争の話しばかりなのに「太平記」とは?

 建徳2年(1371)に完成したといわれている『太平記』のことなのだが、これは後醍醐天皇(1318~1339)の討幕から応安(1369)ごろまでの激動の時代を扱った軍記ものである。
 しかし、太平記となっているものの内容は殆ど戦乱のことばかりで、何故『太平記』かという疑問が湧いてくるほどである。

 内容を見みると、鎌倉幕府の滅亡に至る戦いがあり、すぐに北条氏の巻き返す場面が出てくる。
 そして、北畠顕家・新田義貞軍対足利氏の戦闘、さらに湊川の戦いへと続いていくのだ。

 この後、本格的な南北朝の対立に入っていく。

 顕家・義貞の死に至る戦いのほか、足利尊氏・直義(ただよし)兄弟の確執とこれに絡んで南北朝の講和の話が出てくる。
 前後4回にわたる南朝方の京都進撃、足利方の奪回、常陸の関城の攻防戦等、それに地方の戦い等々頭がこんがらがるほどだ。

 一般の武士の動きも秀逸で、血族が敵味方に分かれるのは当たり前であり、寝返り、投降(所領を半分失うだけ・・・つまり降参半分の約束)等々幾らでもでてくるのだ。

 中には、足利方の笠標(かさじるし)に一寸手を入れて新田のものにしたという描写もあるのだ。

 これで『太平記』なのだが・・・?

                       後醍醐天皇像
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