組織のトップはこうあるべき~中国古典から

 民主党の小沢代表が公設秘書逮捕起訴にも係わらず、代表の座を辞任しようとしない。
 自分が一番に襟を正さなければいけないのに「法律違反はしていない」と弁解し、責任をとろうとしないのはトップの人間としてはどうであろうか?
 「法律違反」云々より、部下(公設秘書)が逮捕起訴されたことに責任を感ずるべきであろう。
 これは企業のトップにも言えることである。
 そこで中国古典に良い文言があるので紹介したい。

 唐の呉兢(ごきょう)の著に「貞観政要」(じょうがんせいよう)なるものがあるが、これは唐の太宗(たいそう)と重臣が政治に関して論じた書である。
 流水清濁在其源「流水の清濁はその源に在り」

 ここで「源」と云っているのは組織のトップのことである。
 トップがまともであれば、おのずから部下もまっとうになり、反対にトップが出鱈目であれば、自然に部下が感染するものだという意味である。

 名君といわれた唐の太宗が、この言葉を引用して次のように語っている。
 「流水が澄んでいるか濁っているかは、源の善し悪しにかかっている。君主と人民の関係を河に例えれば、君主は源、人民は流水のようなものである。君主が自分で出鱈目なことをしておりながら、臣下に真っ当なことを期待するのは、丁度濁った源をそのままにしておいて、流水の澄むことを望むようなものである。所詮無理なことである。」

 太宗の言う君主と人民の関係を、企業の管理職と部下の関係に置き換えても、同じことが言えるのではないのか?
 部下が言う事を聞いてくれないと「こぼす」前に、自分の普段の言動をチェックしてみる必要があるのではないだろうか?
   (参考~中国文学者 守屋 洋氏著書より)

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