絵本太閤記での木下藤吉郎 織田信長に仕える場面

 今回も「絵本太閤記」から木下藤吉郎について述べていきましょうか。
 ドラマ「麒麟がくる」では、いよいよ木下藤吉郎も織田信長に仕える場面が出てくるんでしょうネ。

 脚本ではどのように筋立てしているのでしょうか? まあ、我々が知る藤吉郎の織田家仕官については、尾張での旧知で織田家の小者「一若」と「ガンマク」という人物が出てくるのだが・・・
 藤吉郎はこの二人に頼み込んで織田家の小者として仕えたということで記憶しているのが我々の知識だ。

 では、「絵本太閤記」ではどうだろうか?

 永禄元年(1558)9月1日、小牧山の狩り場で青い木綿の陣羽織に両刀を帯びた出で立ちで、信長の前に出て直訴したことになっている。
 この時、信長の側近である「柴田勝家」は藤吉郎を敵の間者ではないかと疑ったと書かれている。そして、藤吉郎を遮ろうとしたしてもみ合ったとあって、その様子を見ていた信長が藤吉郎を見て近くに来るよう招き直訴の訳を聞いたというのだ。
 この時の信長は非常に物分かりの良い武将だったことになる。この時、信長は21歳で那古野の城主だった。

 この信長、まだまだ尾張一国を束ねるところまでは来ておらず、未知の武将だったのだが・・・絵本太閤記の藤吉郎は、こんな信長に次のようなことを言ったとある。

 「お殿様は、今日の狩りでは沢山の鹿や猿などの獲物を得られたことと存じますが、それが天下国家のために何の益となったのでしょうか。それよりも、自分を得れば、たちまち天下を平定され、四海万民皆万歳と讃えることでしょう。仕官のお願いに兼ねて、このことを申さんがために罷り越しました」と吹き上げたとある。

 マァ、これは無いでしょうナァ、一国の主に対してここまでの大法螺は・・・たとえ藤吉郎でも言っていないと思うが・・・
 でも絵本太閤記では目出度く仕官が叶ったとある。
 何しろ平和な時の絵本だから、このくらい噛まさないと庶民も喜ばなかったでしょうネェ。

 以下、絵本太閤記での藤吉郎出世物語の描写は・・・
 藤吉郎は、馬飼(番)となって世話をすることになるのだが、昼夜を問わず厩において肥料の吟味から馬体の手入れも、訓練等一心不乱に働き続けたとある。
 故に、担当していた馬たちはたちまち毛並みが美しくなり、生き生きとした足取りで歩行するようになったとある。

 その後、草履取りを仰せつかると、寒気の最中信長の草履を自分の懐に入れて暖め、その注目を引いたとある。
 この辺りは秀吉ファンはよく知っていることだろう。

 ということで、この藤吉郎、どんな端役を当てがわれても誠心誠意、自分なりに懸命に働いたとある。
 
 ある日の早朝、例によって信長は起きだして来、玄関から外を見れば雪が積もって寒気もひとしおだったが「だれかある?」と声をかけた際、「藤吉郎にて候」と早速にも現れたとある。
 信長はあまりに早い藤吉郎の出現に質問するのだが、藤吉郎は「他には誰もいませんが、自分は今朝に限ったことではなく、毎朝人より一刻でも早く来て、殿のお出かけに備えていました」と答える。

 ここでも藤吉郎は自分を売り込んでいるわけだ。

 ここにおいて信長は、藤吉郎の勤務ぶりが他衆の連中より超えた働きぶりだと感じとり、ついに重く用いるようになったとある。

 そして、数年の間に一若やガンマクと同格の小人頭に取り立てられたとなっていく。

 やがて藤吉郎は、足軽から足軽組頭、足軽大将となって士分(さむらいぶん)に取り立てられ、そしてその才覚も認められ台所奉行や普請奉行といった理財の運用方までを任されるようになる。
  
 ここまでくるにも当時として破格の出世振りだろうネェ・・・ちなみに台所奉行の時の俸禄は「扶持30貫文」だったという。

 次回ドラマでは、聖徳寺での信長と道三の対面が実現するが・・・


 

 

 

 

 

  

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 2

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)

この記事へのコメント