木下藤吉郎の松下家での働き

 前回に続き日吉丸(木下藤吉郎)の話しだが、『絵本太閤記』には以下のようになる。

 猿に似た日吉丸(以下藤吉郎)と言われ松下家に仕えた藤吉郎。愛嬌があって皆から好かれたらしい。最初加兵衛は藤吉郎を草履取り等の仕事を与えていたという。この藤吉郎、敏捷で機転が利いた働きをしたので、段々と認められるようになり、松下家の納戸の出納役を任されるようになる。

 ところがこれが拙かった、こういった他者と比較して破格の取り上げ方をされると、どうしても同僚の嫉妬をかってしまうことになってしまう。
 マァ、これは現代社会においても同様だと思うが・・・

 そういった嫉妬の中で一悶着起きる。松下家の家来の一人の若侍・川島宇市なるものが藤吉郎に武術の試合を申し込んだ。

 藤吉郎は最初断っていたが、あまりにしつこく言うので仕方なくこれを受けて立った。
 藤吉郎は蜂須賀家で学んだ技で立ち向かい、打ち込んできた相手の木刀を右左と躱して宇市の左目の上あたりを打ち据え目を眩ませ、怯んだ隙をみて木刀を叩き落とし勝を収めたとある。

 これだと藤吉郎は相当な腕前だったと思うのだが、実際の藤吉郎はというと・・・?だろうネェ。

 マァ、これ『絵本太閤記』の記述なので当てにはならない。大体がこの『絵本太閤記」では弘治3年(1557)となっているから事実かどうかも疑わしい。
 この絵本太閤記にはもう一つ逸話がある。
 当時、北条氏政・氏直父子が駿河に侵攻して来て,富士川で今川義元と戦った。この時、松下加兵衛と共に義元麾下として参戦し、敵将の首を挙げて初陣の功名を立てた共描かれているのだが・・・これも眉唾だろうネェ。

 しかし、こういった働きぶり功名を挙げた藤吉郎がなぜ松下家を去ったのか?
 やはり、これは同僚の陰口が影響していたのでは?と言う説があり有力だが、事実無根の濡れぎぬを着せられたという説、殿様から頼まれた鎧探しがきっかけだったとの説も・・・

 絵本太閤記では、鎧探しに出る際藤吉郎は、松下から黄金6枚を預かった。
 これは松下が、尾張の鎧は胴丸といって右の脇腹で合わせ伸縮自在なのが主流だと聞いていたのと、藤吉郎が尾張の出身だということから藤吉郎に命じたとなっている。

 藤吉郎は道すがら、恩義を忘れると言われるのは心苦しいが、青雲の志を遂げるためにはこの金を元手に一旗揚げようと思い立ったとある。
 そのためには、当時、勢いを増していた織田信長に仕えるのが最善だと思い実行に移す決意をした・・・となる。

 実際はどうだろうか? 松下加兵衛は同僚からの妬みなどから藤吉郎を解放させたいと考え、尾張に帰らせようと、暇を出すことにし、その際、路用として与えたのが永楽銭300文で、それが藤吉郎の資金だというのが本当らしい。

 

 

 
 
 
  

 

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