「麒麟がくる」木下藤吉郎の登場から・・・

 またまたNHKの大河ドラマ「麒麟がくる」からなのだが、この13回から木下藤吉郎が出てきた。
 だが、藤吉郎が佐々木蔵之介と言うのが気になりますナァ。伝えられている秀吉とはイメージがあまりにも違い過ぎるからだ。
 ちょいと図体がデカすぎるのだ。これでは迫力のない信長と対峙しても、その時点からどちらが主人かと言うのが気になる。

 マァ、ファンタジーのドラマと思えば良いのだろうネェ・・・江戸時代の『絵本太閤記』のようにネ。
 この絵本太閤記は、江戸時代中期の寛政年間(1789-1801のころに書かれた豊臣秀吉の生涯を描いたものである。
 元は『川角太閤記」だと言われている。
 徳川家に滅ぼされた豊臣家なのだが、秀吉の人気は相当なもので陰では絶大なものをもっていたわけだ。だから、江戸時代になっても、豊臣秀吉の人気は収まらず、芝居とか読み物にして広まっている。しかし、その場合も、名前を変えたり筋を少し変更したり最小限の注意を払って幕府の目から逃れようとしていたらしい。
 よって、徳川家康と接触する場面も極力控え、名前さえ気を配って書いている。
 例えば、織田は小田、島津は志摩図などに変えているのだ。
 そういう工夫で書かれた『絵本太閤記』は全7編84巻を数えている。

 こんな絵本太閤記であったにも関わらず、ましてや幕府の取り締まりも厳しい中、かい潜ってきた絵本太閤記もついに、文化元年(1802)絶版させられているのだ。

 書かれた寛政年間と言えばもう平和な時代そのもので、将軍は第11代徳川家斉で天皇は光格天皇の時代だ。

 ドラマでは、大きな雑多物を担いだ藤吉郎が書物を見ているところからなのだが、読み書きが出来ないものだから、通りすがりの娘に読んで貰うところから始める。
 その後、織田家はダメだから今川家に仕えることにしたとなっていく。
 
 その『絵本太閤記』の中では今川家に仕える場面はどうなっているか・・・と言うことでその場面を少し述べてみる。

 今川家に仕える松下加兵衛之綱と言う武士が、同じく今川幕下で曳馬(ひくま)城主の飯尾豊前守を訪ねようとしていた時、路端で異様な風体をした人間がいるのを見かける。あまりにも猿に似ていたので「猿かと思えばやはり人間だった」と『太閤素性記』にあるのだという。
 マァ、佐々木蔵之介は猿に見えないこともないが体がでかすぎる(笑)

 これに興味を持った松下が「何者か」と尋ねたところ、俺は尾張の百姓の息子だが、武家奉公を願ってここまで(今川領)やってきたと答えた。
 松下は、それなら自分の所で奉公しろと言うと、日吉丸(後の藤吉郎)にとっては願ってもないことなので二つ返事で承諾したとある。

 この場面、蜂須賀小六のところで修行した槍の腕前を自慢して松下に召し抱えられたともある。当時藤吉郎17歳だ。

 ということなのだが、佐々木蔵之介はとても17歳には見えない(笑)・・・マァ良いか。
  
 次は藤吉郎が松下加兵衛に仕えた状況を述べてみたい。


 

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