歌舞伎の元祖出雲の「阿国」は実在していたのか?

 4/2 NHKの番組で「日本人のお名前!」という中で、歌舞伎の元祖「出雲の阿国」のことが出てきた。
 過去小生も出雲大社にお参りした後「阿国」の墓所を訪ねたことがあるので懐かしく思い出した。
 住所は島根県出雲市大社町杵築北2529とあり、「出雲大社の観光センター」から少し431号線を稲佐の浜へ進んだ道路の脇にある。
 墓石には「元祖 歌舞伎 お國墓」と刻まれており、これが歌舞伎の創始者「阿国」の墓だと言われている。

 さて、この阿国、果たして実在した人物なのであろうか?

 番組内でも紹介していたが、出雲の阿国、戦国の世にあって、歌舞伎踊りを広め、歌舞伎の始祖として知られているのだが・・・
 元々の阿国、出雲大社の巫女だったという説がある。しかし、これ定かではないというのだ。
 「阿国」の名前が残っているのは西洞院時慶(にしのとういんときよし)の『時慶卿記』の慶長5年(1600)7月1日のくだりである。
 そこには「クニ」と「キク」という二人が、後陽成天皇の女御らの前で、出雲伝承の「ややこ踊り」を見せたとあるのだ。
 「ややこ踊り」というのは、稚児さんが踊るようなもので、歌舞伎踊りとはまったく印象が違うのだという。

 これが出雲の阿国の実在を示す文献だというわけだ。
 ただ巷間に伝わっている出雲の阿国の活躍はもっと早いとも言われる。永禄年間(1558ー1570)を中心に、将軍・足利義輝に可愛がられ、お抱え役者となったあと、織田信長や豊臣秀吉等にも可愛がられたと言われている。

 だが、これが事実であるとすれば、慶長5年に宮中で「ややこ踊り」をして見せたという阿国さんはずいぶんのオバハンだということになる。
 だって、1560年ころに20歳だとすると、1600年には60歳だ。ということは当時の60歳は棺桶に入っていてもおかしくない年齢だということになる。

 そのあたりの矛盾を解くために唱えられはじめたのが、出雲の阿国は二人いたという説だ。
 足利義輝のお抱え役者になった阿国が初代で、慶長5年に宮中で踊った阿国が二代目だというわけだ。

 さらにさらに、細かな説もあるという。
 足利義輝のお抱え役者に名古屋山左衛門という男がいて、この男と初代阿国の間にできたのが二代目阿国だという。

 でもこの説を否定する者もいる。
 ということで、他にまともな文献が残っておらず、残っていたとしても「クニ」としかない。

 「出雲の阿国」というのは歌舞伎踊りのシンボルのようなものだと思うが、年々江戸でこの歌舞伎踊りが広まり、いつのまにか元祖「阿国」がいたということになったのではとも考えられるのでは? と言う説もある。

阿国の墓所入り口.jpg
   阿国の墓所入り口(出雲市・観光案内から)
阿国の墓.jpg
     阿国の墓(同)
 

 
 

 

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