「本能寺の変」10日後の光秀書状発見

 本能寺で織田信長を討ち果たした明智光秀が、10日後に反信長派の豪族に宛てた書状が発見されたという。
 詳細は引用文の通りだが、信長誅殺にはいろんな説があるので、専門家はこの書状から真実をどう読み解くのかは興味がある。

【産経ニュース】9/12
光秀の狙いは室町幕府再興か 「本能寺の変」10日後の書状原本発見
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明智光秀が天正10年6月12日に土橋重治にあてた手紙の原本と確認された「土橋重治宛光秀書状」(美濃加茂市民ミュージアム所蔵)

 戦国時代の武将、明智光秀が「本能寺の変」で主君の織田信長を討った10日後に、反信長派の豪族に宛てた書状の原本を発見したと、三重大の藤田達生教授(日本史学)らが11日、明らかにした。信長に京都から追われた室町幕府の15代将軍、足利義昭を再度入洛(じゅらく)させようと協力を求める趣旨の記述があり、藤田教授は「光秀らが義昭を奉じて室町幕府を再興させようとする政権構想がうかがえる」としている。

 書状は天正10(1582)年6月12日、紀伊雑賀(さいか)衆の反信長派リーダー、土橋重治(しげはる)に宛てたとされる「土橋重治宛光秀書状」で、岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムで見つかった。縦11・5センチ、横56・7センチ。これまで書状の写しが東京大学史料編纂所にあるのは知られており、藤田教授は幕府再興説を唱えていたが、原本は見つかっていなかった。

 書状は「将軍(義昭)のご入洛のことについては、ご奔走されることが大切です」などの内容で、信長によって追放され鞆(広島県福山市)にいた義昭の帰洛を実現するため、光秀らが奔走している様子を伝えている。

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