織田信長が黒人を家臣にした話

 信長の逸話の中でも有名なのが黒人を家臣にした話のことだ。
 天正9年(1581)にイエズス会の大物ヴァリニャーノが日本巡察にやってきた。
 彼は織田信長に謁見しようとして京にやってきたのだが、そのとき彼が連れていたのが黒人の奴隷であった。
 信長は京の本能寺に宿泊していたのだが、京の町は大騒ぎとなったという。
 当時の日本はどうにか白人の免疫はできつつあったのだが、黒人となるとそうはいかず、一目でも肌の色の違う人間を見たいとの思いから見物に押し掛けたのだ。

 この噂は本能寺にいた信長にも伝わった。
 好奇心旺盛な信長は一目見たいものと、ヴァリニアーノに黒人もつれてくるように命じた。
 信長は一目見たとき、この黒人は身体中墨でも塗りたくっているのではないのか?と疑った。
 そこで家臣に命じ、洗い場において体を洗うよう言いつけた。
 信長は家臣の洗っている黒人の肌がますます黒光りしてくるのを目の当たりにして、初めて肌の色が黒いことを信じたのだ。
 新しいものに興味を示す信長がこのまま見逃すことはない。
 当時のイエズス会では、奴隷を持てるという人物は高い地位にある者に限られていたらしいのだが、信長に譲るよう言われたヴァリアーノは仕方なく信長に献上することになる。
 信長は黒人の名前を「ヤスケ」と名付け、どこに行くのにも引き連れて行ったという。
 勿論戦場にも連れていったという。

 本能寺の変のころには信長も「ヤスケ」にはあまり興味を示さないようになっており、嫡男信忠に譲られていたという。
 そして、「本能寺の変」になるのだが、信忠の居た二条御所も明智光秀に襲われることになる。
 「ヤスケ」も主君信忠を守って勇敢に戦ったらしいのだが、捕らえられてしまう。
 光秀は「ヤスケ」には興味を示さなかったようで、寛大な裁きで「ヤスケ」は死罪を免れ市中に赦免させられる。
 「ヤスケ」のその後については記録が全く残っていないようで不明である。
画像
 
 
             南蛮屏風・宣教師に従う黒人も描かれている。
         織田信長の黒人家臣「ヤスケ」もこのようにして日本に来たのだろうか。

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