幻の「安土城」

 天正4年(1576)1月、織田信長が滋賀県の琵琶湖の畔に新城を築き始めた。
 云われるところの「安土城」だ。
 信長が自分の力を天下に誇示するために、精魂を傾けて建てた名城なのだが・・・勿論現代人はその姿を見たことはないわけで、模型等でその姿を知ることしかできない。
 この城は、城主信長と同じく短命で終わっている。
 安土城は創建されて僅か3年で炎上し、この世から姿を消しているが遺構は残っており、密かな「安土城」ブームになっているともいう。
 この炎上焼失なのだが、皮肉にも織田軍の手によって火を点けられたのである。
 
 着工以来3年目に「二の丸」と「三の丸」完成し、信長はこの時点で移り住んでいる。
 そして、その2年後に本丸が完成したのである。
 ところが、ご存じの「本能寺の変」が勃発する。
 信長は、其の時「本能寺」に宿泊していたが、明智光秀の謀反と知り「是非もなし」とのセリフ?を残して自害する。
 「安土城」は光秀が占領することになるが、数日後羽柴秀吉が、俗に云われている「中国大返し」と云われる予期せぬ反転で大阪に引き返した。
 光秀はこれを迎え撃つため、娘婿の明智秀満に安土城を預け、京都に戻ることになる。
 
 そして、9日後「山崎の合戦」で光秀は秀吉に敗れることになるが、その敗北を知らされた秀満は急いで「安土城」を退去する。
 だが前後して織田信雄が安土に入り、明智軍の残党狩りを始めるのだが、城下に火を放ってしまうのだ。
 こういうところは、信雄の度量の無さが残念だよネェ。
 この火の勢いで、城下町は勿論の事、110メートルの高さの頂きにあった「安土城」まで焼け落ちることととになってしまった。
 現在は、その遺構だけが残っているが、記録によると、焼失前の「安土城」は外国人宣教師も驚く絢爛豪華な城だったという。
 この安土城の姿は、18世紀のパリで出版された「日本紹介本」の挿絵に美しい姿が描かれているという。
 勿体ないよネェ・・・・余計に信雄に腹が立ちますネェ。
 もっとも華麗だったのは、七重の天守閣であったといい、外壁は、最上階が金箔で覆われ、六重は朱と金等で施されていたという。
 これは現代のプラモデル制作の参考とする上での「基」となっている。(写真参照)
 
 さらに、後に図面が発見されているが、それによると、天守閣の底面は不等辺八角形で、左右が非対称となっている。
 そして、内部は一番下に多宝塔が置かれ、その一重から三重にかけて吹き抜けになっている。
 四重に廊下が架かるという前衛的と言って良い構造だったというから、信長の頭の中は、やはり常人では考えもつかない何かが潜んでいたのであろう。
 説によると、信長がキリスト教に理解を示したこともあって、吹き抜け等の空間を設けたのでは・・・とも云われている。
 それにしても、織田信雄にもう少し幅広い視野があればと思うのだが・・・・重ね重ね残念ではありますナァ・・・・
 
画像

                          模型の安土城 
 
 
 

 

 
 

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