織田信長の「馬揃え」

 織田信長は天下統一前に、本能寺で明智光秀に殺されるのだが、信長の性格は好き嫌いがはっきりしているということだろう。
 戦国時代でも こんな武将は少ないであろうと思われる。
 歴史ファンの中にも好きと嫌いで分けると五分五分ではないかと云われるぐらいだ。
 しかし、信長ほど普通の人間では考えも及ばないことを平気でやった武将はいないのでは・・・と思う。
 (信長は、松永久秀には及ばないと揶揄しているが・・・)

 そんな信長が天下をアッと云わせた催しがある。
 ご存じ、京都での「馬揃え」だ。
 そこに至る道筋は信長にとってはまさに棘の道であったであろう。
 一生の間の約10年間足踏みしていたのだから・・・・
 その原因は、一向一揆との戦いだ。
 日々戦いに明け暮れていたのだが終結を迎えることになる。
 天正8年(1580)閏3月、敵対していた本願寺との間で和議が成立するのだ。
 そして、総指揮を執っていた「顕如」は石山本願寺を退去する。
 また、同じ年に、同じく信長に対峙していた加賀の一向一揆は、家臣柴田勝家により鎮圧されたのだ。
 これで問題だった一向一揆を解体することに成功するのだが、ここからが信長の真骨頂だろう。
 
 並みの武将では考えもつかないことを思いつくのだ。
 一向一揆を制圧し天下統一に一歩近づいたことを天下に知らしめるため「左儀長」の行事に併せて行ったのだ。
 それも京で、帝(正親町天皇)の前で「馬揃え」をし、信長の威厳を見せつけようとの魂胆だった。
 
 天正9年(1581)正月となり、信長は一つの催しをやることとし、同15日に信長を筆頭に、親衛隊の馬廻衆や一門を担ぎ出し、それぞれが頭巾や装束で着飾った姿で街に繰り出したのだ。
 その繰り出し方がこれまた型破りで、爆竹を鳴らし、囃(はや)しながらだから京人は大喜びをしたというのだ。
 しかしこれは信長にとって序奏に過ぎなかったのである。
 23日になって、信長は明智光秀を使者にたて朝廷に伝えている。
 それが2月28日に「馬揃え」をやるとの知らせなのだが、実は宣伝であった。 
 つまり「凱旋式」ということだ。
 ということは朝廷にも「見に来い」というわけだ。
  、
 その催しについて『信長公記』には次のような記述がある。(現代文)
 
2、馬揃  御馬揃への事

 御馬揃、それは2月28日に信長公が五畿内および隣国の大名・小名・御家人を召し寄せ、駿馬を集めて天下に馬揃を催し、帝の叡覧に入れるという式典であった。

 馬揃に際し、信長公は上京内裏の東の北から南八町に馬場をこしらえ、その中へ高さ八尺の柱を立てて毛氈で包み、周囲に柵を結いまわして席を作った。また禁中東門築地の外に行宮を建てさせたが、これも仮殿でありながら金銀を散りばめた豪華なものであった。
 そこへ清涼殿より帝・雲客・卿相・殿上人が数をそろえ、衣香を四方に薫じさせて装いも華やかに来場したのだった。
 摂家・清華家の面々が一堂に会して帝の座所の四面を守護し、左右に作られた桟敷に居並ぶ豪華壮麗さは、まことに筆にも言葉にも尽くしがたく晴れやかなものであった。

 一方信長公は下京本能寺を辰の刻に出て室町通りを上り、一条を東に出て馬場へ入るという行路をとったが、その行列の内容は以下のようなものであった。
 一番に丹羽長秀と摂津衆・若狭衆・西岡の革島氏、二番に蜂屋頼隆と河内衆・和泉衆・根来寺の内大ヶ塚衆・佐野衆。続いて
 三番、明智光秀と大和・上山城衆
 四番、村井作右衛門、根来・上山城衆
 以上が進み、次いで御連枝衆の番となった。
 御連枝衆は、
中将信忠殿、馬乗り八十騎に美濃衆・尾張衆。
 北畠中将信雄殿、馬乗り三十騎に伊勢衆。
 織田信包、馬乗り十騎。織田信孝、馬乗り十騎。
 織田信澄、馬乗り十騎。
 その後には織田長益・織田又十郎・織田勘七郎・織田中根・織田竹千代・
織田周防・織田孫十郎が続く。

 その後に公家衆。
 人数は、
近衛前久殿・正親町中納言殿・烏丸中納言殿・日野中納言殿・高倉中納言殿、
 細川昭元殿・細川藤賢殿・伊勢兵庫頭殿・一色左京権大夫殿・小笠原長時。

 次いで馬廻・御小姓衆が十五騎ずつ組で進み、
 その後に越前衆、 柴田勝家・柴田勝豊・柴田三左衛門・不破光治・前田利家・
金森長近・原長頼
以上が続いた。

 次には弓衆百人、
 これは先頭を平井久左衛門・中野又兵衛の両人が務め、二手に分かれて二列に進んだ。
 みな一様に打矢を腰に帯びていた。

 次いで馬が牽かれてきた。
 馬は御厨別当の青地与右衛門指揮のもと、まず

 左先頭 柄杓持ちのみちげ、及び草桶持ち・幟差し
 一番 鬼葦毛
右先頭 柄杓持ちの今若、及び草桶持ち・幟差し

といった具合だ。(以下略)
 そうそうたるメンバーだが、秀吉は中国攻略中で加わっていない。
 織田家の家臣団が一堂に揃ったことになる。
 ※ 左義長(さぎちょう、三毬杖)とは、小正月に行われる火祭りの行事のこと。
   地方によって呼び方が異なる。
 
 
画像

                        洛中洛外図

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