北条家を滅ぼしたバカな男

 今日は、鎌倉時代に執権として権威を振るった北条氏について述べたい。
 北条家には、政治家として優れた能力を発揮した者が多かったのだが、ただ一人暗愚な者がいた。
 その前に、優秀な者がいたことを述べたい。
 まず「時政」なのだが、時の権力者平氏を見限って流人中の源頼朝につく決断をしている。
 これが北条氏発展の基礎となるのだ。

 次に「義時」は、若くして幕府で重要な役目につき、「承久の乱」に勝って武家政治を確立させている。
 義時の子「泰時」も文武両道に秀でていた。
 『ご成敗式目』を制定して法治主権を導入している。
 この三代の執権の時代には「時政」の娘で頼朝の妻であった「北条政子」も重要な役割を果たしているのだ。
 
 其の後、「時頼」や「時宗」などの有能な執権が続いたのだが、14代の執権に、後に暗愚と言われた「高時」がついたのだ。
 この時14歳だったというから若くして執権職についている。

 高時が後に、田楽や闘犬、酒宴にあけくれていたこともあり、高時が世人から「ほとんど亡気(痴呆)の躰」と評された原因も,ここにあるのではないだろうか。
 暗愚と悪評されたのも無理からぬことだが、今となってははっきりしないだろう。

 元徳3年・元弘元(1331)年4月、後醍醐天皇は再び討幕を計画して挙兵することになるのだが、幕府は一旦これを鎮圧する。
 しかし、,兵乱は全国に拡大してしまう。
 正慶2年・元弘3年(1333)新田義貞の進攻にあい,高時は鎌倉葛西ケ谷の東勝寺で一族と共に自刃、150年にわたる鎌倉幕府は滅亡することになるのだ。

                         北条高時像
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