源頼朝の落馬死の真実

 源頼朝は、落馬したのが因で死亡したと良く語られているし、定説にもなっている。
 その時、頼朝は53歳だっというのだ。
 その根拠というのが、鎌倉幕府の公的記録の『吾妻鏡』の記述だという。
 それによると、建久10年(1198)正月18日、家臣の妻の供養で、相模川に橋を架けたのだが、その開通式に臨席した帰りに落馬して数十日後に死亡したというのである。

 ところがである。
 専門家の間では、落馬死因説は疑問があるというのである。
 『吾妻鏡』は、日記のようなもので、毎日の天候まで詳しく書かれているのだが、頼朝が落馬した日も死んだ日も抜けているというのだ。
 それから13年後、ようやく頼朝の死に触れているという不自然さが目に付くというのだ。
 しかも、『吾妻鏡』には、落馬の傷が原因だったと断定した書き方ではなく、落馬して十数日後に死亡したと、妙にぼかした書き方をしているというのだ。

 そのため、昔から、頼朝の死因については、様々な異説が唱えられてきているという。
 例えば、頼朝は好色のせいで妻の政子に殺されたという説。
 恨みをもった家臣が暗殺したのだという説。
 悪性の腫物で命を落としたという説。
 等々で、当時でも疑問を感じた人々が取りざたしていたという。

 そういう中で、有力とされているのが糖尿病説であろう。
 鎌倉時代に書かれた近衛家実(このえいえざね)の『猪隈関白記(いのくまかんぱくき)』に「飲水の重病」で死んだと記述があるからだという。
 「飲水の重病」とは、今で云う糖尿病のことである。
 落馬による怪我が因で糖尿病が悪化して、死亡したということも考えられるのだという。
 (参考~歴史の謎研究会書他)
               
                     源頼朝像
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