鉄砲を伝えたのはポルトガル人なのか?

 ご存知のように鉄砲が伝来してからの合戦は大きく様変わりした。
 そして、この鉄砲は、種子島に漂着したポルトガル人によって伝えられたというのが一般的な定説となっている。

 ところがである。
 最近では、鉄砲を伝えたのはポルトガル人では無かったのではないのか?との説が有力になってきているというのだ。

 同じ舟に乗っていた倭寇(わこう)によって伝えられた可能性が高くなっているというのである。

 そもそも、この鉄砲伝来の根拠とされているのは、南浦文之(なんぽぶんし)という禅僧が書いた『鉄砲記』という書なのである。
 しかし、この書が著されたのは、天文12年(1543)の鉄砲伝来から60年も経った後のことなのだ。

 しかも、鉄砲を買い入れたという島主の種子島時尭(ときたか)の孫が、祖父のために作らせたという書なのだ。

 そのため、昔から資料的価値はそれほど高くないと考えられていたのだ。

 日本に伝来した鉄砲(火縄銃)は、当時のヨーロッパで使われていたものとは形式が違っていた。

 そこで、ヨーロッパから直接伝わったというより、どこかで改良された銃が伝来した可能性が高いのではないのかと見る専門家もいるのである。

 そんな中、国立歴史民族博物館の宇田川武久(うだがわたけひさ)教授が目をつけたのが、種子島に漂着した舟に同船していた「五峰」と言う名の支那人なのだ。

 16世紀に、倭寇の頭目としてアジア各地で密貿易を行っていた人物である。
 一般に「倭寇」というと、日本人の海賊と思われているが、日本と取引きしていた支那人も少なくなかったのである。

 五峰が新たな取引先を求めて、同船に乗っていた可能性は極めて高く、また、伝わった鉄砲は、その形式からして東南アジアで使われていた可能性が高いという。

 それらの根拠から、五峰によって鉄砲が伝えられたのではないかというのである。

 もともと、鉄砲伝来については、公式の伝来以前に、非公式に長崎の平戸に入ってきていたという説もあるのだ。
 学問的には、必ずしもポルトガル人による伝来説で確定しているわけではないというのである。
 (参考~歴史の謎研究会書他)

 

 

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