織田信長が「京」に築城しなかった理由は?

 永禄11年(1586)織田信長は将軍足利義昭に奉じて上洛し、実権を握った。
 美濃を落とし、稲葉山城を岐阜と改名し、居城とした直後のことである。
 
 織田信長は上洛したものの、信長自身は京にいることは少なかった。
 あくまでも岐阜を本拠としたままで、そこから義昭を遠隔操作していたのである。

 現在のような通信手段があるわけではないので、義昭を意のままに動かすのは、岐阜は遠すぎたのであった。
 そこで、京により近い所に城を移す必要があったので、安土を選び城を築いたのである。

 そうなると、京に築城した方が良さそうに思うし、自分が天下をとったということを示すためにも、京に城を建てたのが、より分りやすかったようにも思うのだがどうであろうか?

 織田信長は、京には、城は勿論別宅も造らなかった。
 京には「寺」に泊まることが多く、本能寺で最後を迎えたのもそのためである。

 建築費をケチったとも思われるが、野心家の信長が節約する為だけで京に城を築かなかったとは到底思えない。
 それは、朝廷のために、内裏や御所の修復をしている位だから、自分用の宿泊施設を建てる位は簡単なことであったと推測できるのである。

 研究者の中には、織田信長は、平安時代からの公家政権の本拠地である「京」は、いずれ滅びると見たのではないのか?
 さらに室町幕府のある京は滅びる、そんな「京」に、いずれ天下を手中に入れるつもりの信長は、「京」を中心地にすえる気はサラサラ無かったと述べるのである。

 過去には何も無く、まっさらな土地に新たな城を築き、城下町をつくり、そこを日本の新しい「都」にするつもりではなかったのではないのか・・・と考えるほうが信長らしい構想にみえるのだが・・・どうであろうか?
 (参考~歴史の謎研究会書他) 

 
 

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