織田信長が居城を次々移した理由

 織田家の元々の領地といえば、尾張の東部で、最初の居城は那古野(なごや)であった。
 現在の名古屋城の二の丸あたりにあったとされている。
 信長の父・信秀が今川氏豊から奪い取った城である。

 信長は天文3年(1534)にここで生まれている(尾張勝幡城で生まれたとする説もある)。
 並の大名であれば、生まれた土地で生涯を過ごすことか多いわけであるが、むろん、信長はそうではなかったのである。
 次々と居城を変えているのである。

 まず、青年期までを那古野城で過ごした後に、弘治元年(1555)清洲城に本拠地を移す。
 それに伴い、那古野城は廃城となる。
 その清洲にいたのは10年間ほどで、尾張を統一し、隣国の美濃へ攻め入る前の永禄6年(1563)に小牧山城に移った。
 
 小牧山城は、新しく平野に築いた城で、それに伴って、城下町が建設されたのである。
 そして信長と家臣だけでなく、商人や職人も清洲から移転してきたのである。
 
 この小牧山を本拠地として、信長は美濃の斎藤氏を攻めたのである。
 ところが、山頂にある美濃の稲葉山城は、難攻不落の城として知られ、信長軍も攻めあぐんだのである。
 木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の活躍もあって、ようやく永禄10年(1567)稲葉山城を落城させるのである。

 すると信長は、今度はその稲葉山城を居城とし、名を「岐阜」と改める。
 そして、最後が安土城なのである。
 7年間かけて、琵琶湖の湖畔に築城したもので、天正4年(1576)に完成させるのである。

 このように、信長は“引越し”を繰り返したわけであるが、そこには「制圧した地に住み」、「そこを拠点に、次の攻撃の最前線基地にする」という狙いがあったものと思われる。
 
信長の居城の変遷は、天下を目指した信長の野望の軌跡と言っていいのである。
(参考~歴史の謎研究会他)

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               安土城図

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               安土大手道

 

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