暴れん坊将軍吉宗、さてその実態は・・・

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             徳川吉宗像 徳川記念財団所蔵

 TVで大活躍する「暴れん坊将軍」は「水戸黄門」と双璧であるといっても過言ではないほど、日本人には人気がある。
 身長およそ6尺(182センチ)、木綿の着物を着た色の黒い大きな男。
 相撲取りよりも大きくて力が強く、鷹狩りが大好き。そのくせ子どもにもよく慕われ、柔和でおおらかな、そして思いやりのある男。
 時には画を嗜んだりしたという・・・。

 実際の8代将軍・徳川吉宗(1684~1751)はこんな人物であった。
 しかし、現職の将軍が「悪人退治」のために城下町へ行ったということは当然のことながらあり得ないことなのである。

 吉宗の系譜を追ってみると、数々の偶然が御三家第二位の紀州家四男として生を享けた彼を将軍職へ導いていったことが分るのである。
 吉宗は、必ずしも将軍職を受けるような立場ではなかったのである。

 しかし、将軍家の血筋が絶えたあと、後継者を出すはずであった御三家筆頭の尾州家の吉通(よしみち)と、その嫡男が死亡したことによって、将軍職がまわってきたのである。
 また、四男に生まれながら、父と三人の兄の死によって紀州藩主になった、という点も見逃せないのである。

 紀州徳川家時代の吉宗は、市民の生活を視察し、風俗に深い関心を持った大名で、将軍になってからも。わらじの紐を自分で結び、鷹狩りの途中に農家に入って酒を酌み交わした、という記録もあるのである。

 一方、享保の改革で幕府の政治体制や財政の改革に取り組み「才能がなくても、職務に励めば必ずむくわれる」と諭し、人材の抜擢にも積極的であった。

 また、「目安箱」を設置して、庶民のありのままの生活に直接触れようと努力もしている。
 これは、紀州藩で実施したものをアレンジしたもので、途中で箱の中身がすり替えられて、不正が起こるのを防ぐ為、鍵は将軍だけが持っていたので、吉宗は“偽りのない世論”を知ることができたのである。

 このような点を見てみると、吉宗は細かな気配りと先見の明を持ち、機智に富んだ行動派だったといえる。

 テレビに正義の味方の吉宗を登場させ、“悪人退治”をやらせる背景には、“政治力があり、かつ大衆に密着した政治家がいたら”という人々の思いが存在し、また先に言ったような吉宗像であったなら、このような庶民のヒーローに作られたとしても可笑しくないであろうと思われる。
 (参考~法政大学村上直教授書より)

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