松の廊下刃傷事件(忠臣蔵)は江戸留守居役の処世術が下手だったから

 「忠臣蔵」は現在でも演劇・テレビ・映画で取り上げられ、日本人の判官贔屓(ひいき)もあって根強い人気がある。
 しかし冷静に考えてみると、どうも江戸留守居役の日頃の処世術が下手だったことが浮び上がってくるようである。
 今回は、北村鮭彦氏の書から紹介しよう。

 大名の中でも役職に就いている者はそれなりに多忙である。
 大老、老中、若年寄、寺社奉行,奏者番、京都所司代、大阪城代等の要職は相応の役得もあったようであるが、すべて自分持ちという役もあるわけである。

 しかし、何の役もない大名は式日や月定例の登城日に伺候して将軍の前でほんの一時(いっとき)平伏していればいいのであるから、後は暇を持て余していて、吉原へ行きたいだの、一杯呑みに出かけたいだのと言い出して、家老や側近にたしなめられたりしていたのである。

 そうしているうちに突然、臨時の御役が回ってくることがある、
 これは大規模な川浚いや普請の手伝い、伝奏役、方角火消などで、ほとんどすべての費用を自分で持つという役なので、運悪く任命でもされたらたまったものではない。
 伝奏役というのは朝廷から勅使として江戸へきた公卿を接待する役なのである。

 これは古くからのしきたりがあって、その手順を間違えたりすると首が飛ぶというようなこともあるので、そういう方面に詳しい高家の指導を受けるのである。

 要領の良い大名が、江戸留守居役という外交を担当する役の者をフルに督励して事前に御役逃れを図るのも当然なのである。

 江戸城中には奥祐筆という役人がいた、
 御用部屋へ詰めて機密文書を扱い、種々の請願書を調査し、大名旗本の人事について発言をし、幕府の土木、営繕の仕事を諸大名に割り振る役なのである。

 諸藩の江戸留守居役は常々この奥祐筆に付け届けをし、花街などに誘って真剣になっておだてあげるのである。
 この役人の機嫌が良ければ、今後の伝奏役は「誰々に」ぐらいのことを漏らしてくれるのである。
 日頃の賂(まいない)が悪ければその藩に役が廻ってくることになるのである。

 伝奏役などは殿様一代の間に一度順番が廻ってくればいい方なのであるが、赤穂藩の浅野家などは一代に二度も廻ってきたのである。
 よほど江戸留守居役の堀部弥兵衛がケチだったのか、とにかく日頃の贈答が疎かになっていたのだと推測できるのである。
 

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