改易や国替で浪人となった者の生活

 浪人というのは失業者である。
 現在も職を失って、その日の生活にも困る人々が沢山いるが、江戸時代はどのようにして生活の糧を求めたのであろうか?
 今回は、法政大学教授村上直氏の著から紹介しよう。

 江戸時代の浪人達は、自ら進んで失業(浪人)したというよりは、改易という現代で言えば倒産により無理矢理失業に追い込まれたといっていい状態であったから、当然、生活の糧を求めることになる。
 その場合、一番理想的なのは「武士」として再就職することなのである。
 一説では、赤穂浪士の討ち入りも浪士たちが再就職したいがためであったと言う学者もいるのである。
 
 武士には、定員があるから簡単に仕官の口がみつかるはずはないのである。
 そこで、浪人たちは、生活の糧を求めて町人や農民の世界に入っていくことになったのである。
 
 江戸時代の初期の新田開発に携わったのは多くの浪人たちであった。
 彼らは、自分が開発した土地に住み着き、やがてその地の名主や庄屋になっていったのである。
 
 儒学者や兵学者になった者も多くいた。
 正徳の治で有名な新井白石もそのような一人であった。
 浪人・白石は儒学者となっていたが、その学者としての名声が再就職を成功させたのである。
 山鹿素行や熊沢蕃山なども同様の道をたどっている。
 
 町道場の指南役になったり、寺子屋や手習いの師匠になった者も多くいる。
 江戸時代の江戸の町にはこのような師匠が800人もいたといわれている。
 また、文人や画人、医師、僧侶、芸人になった浪人も沢山いた。

 内職に精を出していた浪人も多くいたが、それはやがて、米沢の筆、小倉の合羽、長州の傘というような地方の特産物を生み出すもととなった。
 このように、江戸時代のの浪人たちは、積極的に町人や農民の中に溶け込み、生活の糧をかせぐと同時に、武士身分として培われた文化や技術を広く社会に根付かせていく役割を果たしたのである。

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この記事へのコメント

沖 律子
2020年06月10日 07:21
改易等とは違うと思います、私の先祖は岡山藩士でしたが江戸末期か明治維新の頃に博打等により城下を追われ川沿いに移り住み川漁や渡し船をしておりました。籍は藩にあったようで壬申戸籍には士族とあったといいます。岡山出身の磯田準教授も「没落武士は川漁や渡し船をしておりました」とテレビの中で言っておられます。全国的にこの様なことはあったのでしょうか?

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