広島県世羅町の歴史散歩(概要)

 今回から世羅町の歴史散歩に挑戦してみようと思う。
 世羅町は標高300m~600mの世羅台地に位置する。
 平成16年10月1日、当時の世羅町・甲山町・世羅西町の3町が合併をし、現在の世羅町として発足した。
 面積は278.29平方キロで、人口18,860人の町である。
 瀬戸内海へ流入する芦田川水系と日本海へ流入する江の川(ごうのがわ)水系の水源地帯にあたり、早くから郷村の成立がみられた。
 古代には桑原、大田、津口、鞆張の四郷があり、『日本後記』の延歴24年(805)12月7日条に備後国山間8郡の一つとして初めて世羅郡があらわれた。
 平安末期になって太田荘、西南隣に神崎荘、その西に重永荘、津口荘があり、北側に小童保(ひちほ)があった。
 太田荘は大別して東の桑原方と西の大田方に分けられ、その境界は旧甲山町と旧世羅町の境界に引き継がれている。
 鎌倉初期、桑原方の下司(げし)は世羅荘司橘兼隆であり、大田荘のした司は大田太郎橘光家であった。
 鎌倉末期、各地に土豪武士が台頭して荘園を侵略し、南北朝の内乱期以降、北から久代宮、三吉、山内、和智(上原)の各氏、南から杉原、小早川の各氏が郡内に入って覇を競ったが、最後は安芸毛利氏の領国となった。
 その後毛利氏に代わる福島氏の時代を経て、元和5年(1619)の浅野氏入部に至るのである。
    (参考~森本繁著“備後の歴史散歩”)

       今高野山山門(仁王門)~次回はここから散策スタート
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