備中高松城の水攻めに要した「堤」造成費用はいくら?

 羽柴秀吉が織田信長の命で、備中高松城を囲んだのが、天正10年4月25日だといわれている。
 その前に高松城に籠もる清水宗治に降伏を勧めるも拒否されたため囲んだのだが、丁度雨季だったため足守川を堰止めて、平城だった高松城を水攻めにしようと思ったのである。
 説によると堤の長さは26町(約2.8km)、高さ4間(約7m)と伝えられている。
 この堤は、現在僅かに残され、高松城水攻め築堤址の碑が建てられている。
 
 この巨大な土手を秀吉は、僅か19日で完成させたといわれている。
 この堤造りに費やした費用は、米3,500余石、永楽銭63万5,040貫文、百姓たちに土嚢1俵を運ぶ込むごとに、銭100文と米1升を与えたといわれているのである。

 資料を調べると、永禄11年(1568)信長が将軍足利義昭を擁して上洛したとき、本願寺、堺にかけた矢銭がそれぞれ5,000貫、20,000貫であって、堺は当初拒否している。
 それだけ高額であるという証であろう。
 また後北条氏の職人の私的徴用は一人1日、50文であったことも比較すると、土嚢1俵100文、米1升は多過ぎるきらいか゜ある。
 当時の米1俵は10銭前後であったのであまりにも桁外れの金額であろう。

 秀吉は、ここぞというとき、米や金を惜しみなく投ずるという手法を使っており、秀吉特有の経済感覚、物量作戦から、大げさに言い伝えられてきたものと推測できるのである。

 

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