尾道市の民話(海福寺の三つ首さま)・6

                   海福寺山門
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                   海福寺本堂
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      三つ首さま
画像  江戸時代の終わりごろ、尾道は凶作が続いてのう、悪い病気も流行り、世の中は騒然としていたんじゃ。
 おまけに泥棒や追いはぎまでもが出没して、人々の心は安まることがなかったんじゃ。
 泥棒一味の首領と思われる者に、惣兵衛、亀蔵、利助というのがいたんじゃ。
 この3人は泥棒といっても、金持ちからお金や品物を奪って、貧しい人々に恵んでいたんじゃ。
 ところがのぉ、とうとうこの3人が捕まってしもうたんじゃ。
 3人は文政11年(1828)神無月(旧暦10月)の26日、木枯らしの吹く寒い日に、処刑されることになったんじゃ。
 当時、刑場は木原村の六本松にあってのぉ、御所の奉行所を出た3人は、ともに後手に縄で縛られ、馬に乗せられて刑場に向ったんじゃ。
 沿道には野次馬が集まってのぉ、珍しそうに見送っていたんじゃが、中には涙をためて手を合わせる貧しい人達もおったんじゃ。
 頭から囚人笠を深くかぶり、浅葱(あさぎ)色の一重を着せられ、荒縄で帯をしめた3人は、無言で通り過ぎたんよぉ。
 ところがのぉ、3蕃目の囚人は大柄な男でのぉ、肩を怒らせ、何度も後を振り向いていたんじゃ。
 見送る人々の中に心にかかる人を探していたんじゃろうな。
 栗原川の巌通橋を越え、吉和村鳴滝山を眺めながら、福地を通り木原へと向ったんじゃ。
 瀬戸内海が広く開けた美しい景色を、3人の囚人はどんな気持ちで眺めたのか、今になっては知るすべも無いよのぉ。
 やがて糸崎神社の森が見えてきたんじゃ。
 その後の山間に六本松があったんじゃが、刑場といっても六本の古い松がある、チョットした広場で、枯れ草に埋もれた一基の地蔵さまと、小さな灯籠があるた゜けじゃったんじゃ。
 この刑場の竹矢来の中で、3人は処刑されたんじゃ。
 それから数ヵ月後、海福寺21代目の和尚堪応は、不思議な夢を見たそうじゃ。
 処刑された3人が夢枕に立ち「われわれ3人の供養をしてくれ。そうしたら首から上の病を治してやろう」言うたんじゃ。
 翌日堪応和尚は、奉行所に願い出て3人の首を寺に運ばせ、さっそく法名をつけて祀ったんじゃ。
 これを聞いた人々は、一文、二文とお金を出し合って、3人のために石碑を建て、祠を作ったんじゃ。
 今でも海福寺の墓所の入口に「三つ首さま」と呼ばれる祠があるんじゃ。
 赤い幕がつるされて、中に数基の地蔵さまが祀ってあり、首だけの地蔵さまもいくつか並んでおるんじゃ。
 中央の石碑には向って右から『功阿良勤信士』『眼阿通天信士』『界阿精進信士』と3つの法名が刻まれているが、今となっては、どれが惣兵衛、亀蔵、利助のものかわからんのんじゃ。
 今でも首から上の病には、御利益があると人々は信じ続けて、「三つ首さま」の祠にお参りする人々が大勢居るのは事実じゃ。
 これで「三つ首さま」の話はおわりじゃ。
 続きはまたのぉ。
 (参考~尾道民話伝説研究会発行“尾道の伝説と民話”)
 

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