倉吉市の歴史探訪(町並と土蔵)
倉吉市は、打吹城を中心に栄えた城下町といわれているが、いつどのように形成されたかは不明である。
だが16世紀なかばには人家300余を数えたといわれている。
この打吹城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義で、延文年間(1356-61)のことといわれている。
元和元年(1615)一国一城令で、この打吹城は廃城となった。
倉吉市東仲町、西町にかけて、古い町並が残り裏手の玉川沿いには江戸時代末期から明治にかけて建てられた町家の土蔵群が並んでいる。
江戸初期に酒蔵、油屋、米屋等が西町から岩倉町に集中し、これらの商いは土蔵を必要としたのである。
町家の屋根には石州瓦がのっている。
(参考~山川出版社発行の“鳥取県の歴史散歩”)
町 並
土蔵群
側溝には鯉がのんびりと泳いでいる
だが16世紀なかばには人家300余を数えたといわれている。
この打吹城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義で、延文年間(1356-61)のことといわれている。
元和元年(1615)一国一城令で、この打吹城は廃城となった。
倉吉市東仲町、西町にかけて、古い町並が残り裏手の玉川沿いには江戸時代末期から明治にかけて建てられた町家の土蔵群が並んでいる。
江戸初期に酒蔵、油屋、米屋等が西町から岩倉町に集中し、これらの商いは土蔵を必要としたのである。
町家の屋根には石州瓦がのっている。
(参考~山川出版社発行の“鳥取県の歴史散歩”)
町 並
土蔵群
側溝には鯉がのんびりと泳いでいる
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