拳骨和尚ゆかりの寺探訪

曹洞宗大興山「済法寺」
所在地~尾道市栗原東1丁目
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                    済法寺山門

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                    済法寺本堂
 当寺の開山は、広島国泰寺11世笑堂行契大和尚《宝暦13年(1763)8月15日遷化》笑堂大和尚は、宝暦3年(1753)に国泰寺を辞して後進に譲り、広島藩より扶持を得て現尾道市木の庄木門田の西宝堂に閑寂隠居した。後宝暦9年(1753)に堂宇を得て現在地に移転し、以後「済法寺」に改めた。
 7世牧元喝童大和尚《文政5年(1822)1月22日遷化》の代、享和年間には多くの石仏が寺内山中に刻された。特に、本堂西側山頂には、高さ8m余りの大磐石に浮き彫りにされた「お釈迦様」を拝むことができる。
 その他17の巨岩転石に正法護持の聖者、16羅漢像や従者、阿羅漢像など、総数23面26尊者が半肉彫りに刻され、山全体が禅園と化し幽玄聖地の世界を醸し出している。
 なお、その作品はすこぶる秀逸で、ノミの跡を美しく、尾道石工の妙技を後世に遺した逸品である。
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拳骨和尚が抱いた「手水鉢」

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 写真手前の石が拳骨和尚が背負った「背負い石」、 後が檀信徒が建てた「物外記念碑」

 9世物外不遷大和尚《慶応3年(1867)11月25日》は、世に「拳骨和尚」と親しまれた曹洞宗の傑僧である。柔術不遷流の開祖で、剣・槍・鎌など武術の達人で、多くの弟子を抱えた。
 一方俳人松尾芭蕉の信奉者であり、自ら蕉風門下をもって任じ、多くの名句を残した。
 また、その書画は力強さの上に自由奔放、軽妙、酒脱の風格を具え、尺八・笛にも長じ優れた文人僧の側面も伺うことができる。 晩年は、幕末動乱の最中平和を願って、朝幕間を奔走し、その旅中で果てた勤王僧であり、辞世の句「太平を待ち 奉る 寒さかな」を残している。
 「奇僧」ともいわれた物外不遷大和尚の一生を貫いたものは、禅僧としての桁外れの慈悲心の発露であったと言っても良い。 現在寺にゆかりの品々が保存され、尾道文化財に指定されている。(以上案内板より)
何点かの「摩崖仏」をUPする。
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