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尾道市の民話(拳骨和尚)・7
尾道市の民話(拳骨和尚)・7  むかし、むかしのことじゃ、尾道でものぉ、よう相撲の場所が開かれていたんよ。  力士にもいろいろあってのぉ、大名お抱え力士からその地方の力士までみんな力自慢ばかりじゃった。  江戸時代の終わりごろ、尾道で相撲の興行が開かれていたんじゃ。  その場所での突然「わっはっはっ……」と大きな笑い声がしたんよ。  丁度立ち上がろうとしていた横綱は、驚いて観客席を怒りの目で見回したんじゃ。  「誰じゃ大声で笑う奴は」  「わっはっはっ、怒るな関取、あんたの腰があまりにふらついているんで、つい笑う... ...続きを見る

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2009/01/07 07:35
尾道市の民話(海福寺の三つ首さま)・6
尾道市の民話(海福寺の三つ首さま)・6                    海福寺山門 ...続きを見る

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2009/01/02 07:31
倉吉市の歴史散歩(打吹山城跡)・8
倉吉市の歴史散歩(打吹山城跡)・8 所在地〜倉吉市仲ノ町  倉吉駅から旧倉吉市街地へ向って進むと、樹木が繁る秀麗な打吹山(標高208m)の山容が見えてくる。この山に城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義(もろよし)で、延文年間(1356-61)のここという。  山頂からは北は日本海、東西は倉吉市街やその近郊が一望できる。現在、山頂部と中腹に曲輪跡や石垣が残っているが、この城を整備したのは近世初期豊臣政権下の南條氏である。  室町時代を通じて伯耆山名氏の本城となったわけでが、応仁の乱後山名氏の権勢は衰え、伯耆国内の国人衆の自... ...続きを見る

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2008/12/31 17:12
倉吉市の歴史散歩(大蓮寺)・7
倉吉市の歴史散歩(大蓮寺)・7 所在地〜鳥取県倉吉市新町1丁目2411                         大連寺 ...続きを見る

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2008/12/29 15:58
倉吉市の歴史散歩(定光寺)・6
倉吉市の歴史散歩(定光寺)・6 所在地〜鳥取県倉吉市和田不入岡  倉吉市街北西の金森町から国道313号を北へ約1.5km進むと、和田の集落があり東のはずれ山麓に定光寺(曹洞宗)が所在する。  定光寺は、室町時代の3代将軍義満の治下、伯耆守護山名氏之ゆかりの寺である。  開山は、能登総持寺派、蛾山韶碩(がざんしょうせき)の弟子通玄寂霊(つうげんじゃくれい)の法孫で天真自性の弟子の機堂長応(きどうちょうおう・俗姓南條氏)である。  室町時代の定光寺文書(県保文は、守護大名氏・戦国大名尼子氏の盛衰を物語る。  本堂横から山... ...続きを見る

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2008/12/28 06:10
倉吉市の歴史散歩(田内城跡と岩阿弥陀)・5
倉吉市の歴史散歩(田内城跡と岩阿弥陀)・5 所在地〜倉吉市巌城  山名寺を見て、北に堤防下の道を50mほど行くと、山麓に仏足石ともよばれる巨岩の重なる小さな山がある。  ここが巌城田内城跡である。  建武4年(1337)、初めて伯耆守護に任ぜられた山名時氏が、まず最初に守護所を設置したところといわれている。  田内城跡のかつて天神川に洗われていた仏足山山麓の巨岩には、「南無阿弥陀仏」と念仏が刻まれている。  岩阿弥陀とよばれるこの念仏碑は、江戸時代に倉吉の町人たちが洪水で死んだ人々の供養のために刻んだものと伝えられている。  ... ...続きを見る

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2008/12/27 05:39
倉吉市の歴史散歩(山名寺と三明寺古墳)・4
倉吉市の歴史散歩(山名寺と三明寺古墳)・4 所在地〜鳥取県倉吉市巌城字寺山  倉吉旧市街の北方、堺町バス停から北へ国道313号を越え、三明寺橋を渡ると、三明寺集落の奥に曹洞宗山名寺がある。  南海宝州を開山として、延文4年(1359)伯耆守護山名時氏が自分の菩提寺として建立した大雄山光孝寺の跡である。  時氏の長子師義(師氏)の菩提寺正受院もこの寺にあった。五山十利制で諸山の一つ光孝寺は「新呉の絶境に建てられ、そこは維場の勝藍の地「山の名を大雄といい、寺を称して光孝という」と京都五山の禅僧惟肖得岩が称嘆した。  後に時宗寺院の三明... ...続きを見る

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2008/12/26 05:54
倉吉市の歴史散歩(廃寺と遺跡)・3
倉吉市の歴史散歩(廃寺と遺跡)・3 所在地〜倉吉市駄経寺町  倉吉旧市街の東、下田中の上灘小学校の玄関前に2個の礎石が置かれている。これが大御堂(駄経寺)廃寺の礎石である。  その一つは長径約2.4m、中央に径86cm・深さ13cmの一重の円孔がある。もう一つの礎石は長径1.3m、中央には径80cmk柱座がつくりだしてある。  一重円孔の礎石は層塔の心礎で、円座のある礎石は四天柱座である。これらの礎石は駄経寺跡から運搬されたものである。  廃寺跡は江戸時代、少し高くなっていて大御堂とよばれ、「昔は大伽藍があり、今でも大き差... ...続きを見る

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2008/12/25 04:57
倉吉市の歴史探訪(大岳院)・2
倉吉市の歴史探訪(大岳院)・2 所在地〜鳥取県倉吉市東町  南総里見八犬伝(滝沢馬琴作)のモデルとなった「里見家」の墓所である大岳院。  曹洞宗大岳院は、もと駿河(静岡県)沼津城主中村彦左衛門一栄公の菩提寺で慶久寺と称していたが、一栄公の移封とともに伯耆(鳥取県)八橋に移ってきた。  公の没後、嫡子の倉吉城主中村伊豆守栄忠公が亡父の菩提をとむらうため、一栄公を開基としてその法名「萬祥寺殿大岳周大居士」から、あらためて現在地に「萬祥山大岳院」と名付け、公の実兄で慶久寺十世孝山智順禅師を御開山に迎えて開創された。  時に慶... ...続きを見る

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2008/12/23 07:17
倉吉市の歴史探訪(町並と土蔵)
倉吉市の歴史探訪(町並と土蔵)  倉吉市は、打吹城を中心に栄えた城下町といわれているが、いつどのように形成されたかは不明である。  だが16世紀なかばには人家300余を数えたといわれている。  この打吹城を築いたのは伯耆守護山名時氏の長子師義で、延文年間(1356-61)のことといわれている。  元和元年(1615)一国一城令で、この打吹城は廃城となった。  倉吉市東仲町、西町にかけて、古い町並が残り裏手の玉川沿いには江戸時代末期から明治にかけて建てられた町家の土蔵群が並んでいる。  江戸初期に酒蔵、油屋、米屋等が西... ...続きを見る

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2008/12/22 14:36
尾道市の民話(鈴姫のほこら)・5
尾道市の民話(鈴姫のほこら)・5                   鈴姫のほこら ...続きを見る

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2008/12/21 08:45
尾道市の民話(千光寺の玉の岩)・4
尾道市の民話(千光寺の玉の岩)・4   ...続きを見る

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2008/12/10 19:02
尾道市の民話(かんざし燈籠)・3
尾道市の民話(かんざし燈籠)・3                八坂神社〜尾道市久保2丁目 ...続きを見る

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2008/11/10 05:30
尾道市の民話(岩から抜け出した不動明王)・2
尾道市の民話(岩から抜け出した不動明王)・2                民話のモデルの岩に刻まれた不動明王 ...続きを見る

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2008/11/03 07:20
尾道市の民話(三成の浦島太郎)・1
 昔むかし、水成(三成・ミナリ)に嶋子(シマコ)という若者がいたそうじゃ。  その若者は大層心根の優しい者じゃったそうなんじゃ。  近くの山から神棚に供える松を採っちゃあ、玉の浦(尾道)に持って行き、売って商売をして両親を養っていたそうなんじゃあ。  嶋子は玉の浦に行くたびに浜に出て、龍神さんへの奉(ササゲ)物として松を一本海へ投げ入れて手を合わせていたそうなんじゃあ。  ある日のこと、いつものように玉の浦の浜に出て、松を投げ入れて拝んどると、突然沖の方からザワザワと大波が押し寄せて来... ...続きを見る

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2008/10/28 17:22
三原市の歴史散歩(米山寺)
三原市の歴史散歩(米山寺)  小早川家歴代の墓がある寺で、石造宝篋印塔20基が、10基づつ2列に並んでいる。  場所は、三原市沼田東町納所(のうそ)で、JR本郷駅から約4kmのところである。  三太刀バス停で下車して、納所橋を渡って山道を登ること約1.5kmであるが、車で行ける。  しかし、狭く曲がりくねっているところもあり注意が必要である。  この寺は、曹洞宗東廬山米山寺で、沼田荘地頭小早川茂平が嘉禎元年(1235)に建立した氏寺である。  宝篋印塔は2列に並んでいるが、後列左端の塔は2.5mで最も大きく、美し... ...続きを見る

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2008/10/25 18:57
西国街道の歴史散歩(三原市・法常寺)・18
西国街道の歴史散歩(三原市・法常寺)・18 所在地〜広島県三原市西宮町  西宮八幡宮から参道を下って旧西国街道を西野川沿いにさかのぼり、法常寺バス停の一つ手前の路地を北へ上ると、東日山曹洞宗法常寺がある。  『三原志稿』によると、もと天台宗で東日山法輪常転禅寺といい、加茂郡新庄村(竹原市)の木村城北麓にあり、竹原小早川氏の菩提寺であったが、天文18年(1549)小早川興景が大休和尚を請じて曹洞宗に改めた。  その後、三原城下に移され、慶長2年(1597)小早川隆景が三原城で死去したとき、葬儀がこの寺で行われ、境内にその隆景公祠が祀ら... ...続きを見る

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2008/10/06 19:09
西国街道の歴史散歩(三原市・三原八幡神社)・17
西国街道の歴史散歩(三原市・三原八幡神社)・17 所在地〜広島県三原市西宮町宮前  順勝寺前から山陽道を西へ、西惣門跡を過ぎて西宮バス停から北西に向う参道を上がると、大畑山の南に張り出す丘陵(宮山)に三原八幡神社が鎮座している。  西八幡宮とも西宮八幡宮とも称する。もと西野村大西谷国広に鎮座していたのを天正3年(1575)小早川隆景によって現在地に移された。  城の西に鎮座するから西宮というのである。  貞享3年(1686)に本殿を再建、大畑山の南に延びる丘陵六本山の南麓にある真言宗万福寺(西町)が別当寺である。  広い境内には能角力... ...続きを見る

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2008/10/01 18:52
西国街道の歴史散歩(三原市・順勝寺)・16
西国街道の歴史散歩(三原市・順勝寺)・16 所在地〜広島県三原市西町  大善寺を出て、県道三原・東城線を恵下谷沿いに南下して、旧山陽道との交差点中橋で右折する。西進して間もなく順勝寺バス停の北側に三原市の重文となっている山門が目に入る。  三原城内にあった御作事奉行所の門を明治10年(1877)に移転したもので、四脚門・切妻造・本瓦葺である。  この高隆山順勝寺はもと豊田郡本郷町の高山城下にあった臨済宗の寺院で、文明3年(1471)田坂善応が真宗の順勝寺に改めたものを、小早川隆景が三原城下に移したと伝わる。  天正15年(1587... ...続きを見る

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2008/09/27 06:59
西国街道の歴史散歩(三原市・大善寺)・15
西国街道の歴史散歩(三原市・大善寺)・15 所在地〜広島県三原市西町  香積寺の側の恵下谷川を挟んで対面にある寺が、増上山広慶院と号する大善寺である。  もと豊田郡本郷町新高山の山麓にあったが、天正10年(1582)この地に移された。天正年中回祿にかかったが、三原浅野氏第四代忠義の母月渓院殿心誉栄讃珠光大法尼の菩提寺として知られる。  境内の墓地に月渓院の宝篋印塔があり、「備之後州三原城主浅野氏忠義之母、寛永17年庚辰年六月誕生、七十四歳正徳三年臘月五日於三原卒」と刻まれている。寺伝によると月渓院は徳川三代将軍家光の御落胤で、春日局... ...続きを見る

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2008/09/12 07:05
西国街道の歴史散歩(三原市・香積寺)・14
西国街道の歴史散歩(三原市・香積寺)・14 所在地〜広島県三原市本町  宗光寺の山門を下り、参道を西に曲がって「三原・東城線」を北上すると、宗光山西麓に桂谷山香積寺がある。 『三原志稿』によると、明応3年(1494)豊田郡真良村に小早川氏第13代扶平が建立し、大永5年(1525)第14代興平の菩提寺となった。  三原城下町造成に伴い隆景が現在地に移したが、本尊十一面観世音菩薩は残し、これを本尊とする同名の寺が真良にある。  現本尊は釈迦牟尼仏で、境内に『三原志稿』全八巻の著者青木新四郎充延の小さな墓がある。  青木充延は宝暦10... ...続きを見る

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2008/09/05 05:05
西国街道の歴史散歩(三原市・宗光寺)・13
西国街道の歴史散歩(三原市・宗光寺)・13 所在地〜広島県三原市本町  福島正之、浅野忠長夫妻の墓がある寺宗光寺。  正法寺から本町通りに戻り、しばらく行くと右側に広い参道があり、北側に泰雲山宗光寺の壮大な山門が見える。  背後の山が宗光寺山で、その南麓に広い境内がある。山門は新高山城の旧正門で、新高山城南麓にあった雲門山匡真寺とともにここへ移築された。四足門、切妻造、本瓦葺で、蟇股などに桃山期の建築様式をよく残し、国の重要文化財に指定されている。  匡真寺は天正4年(1576)、小早川隆景が父母の年忌を弔うために新高山城内に建立... ...続きを見る

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2008/08/31 08:16
西国街道の歴史散歩(三原市・大島神社)・12
西国街道の歴史散歩(三原市・大島神社)・12 所在地〜広島県三原市本町  妙正寺から南に下がる参道を右折して西側の丘に上がると、三原城の鎮守大島神社がある。もと大島に祀られていたが、大島が三原城の本丸に取り込まれたので本丸内に移され、その後野畑山南側中腹の現在地に移された。  祭神は倉稲魂命・大年神・豊受比売神で、俗に切立稲荷と称する。相殿に厳島大明神の社があり、もと二の丸の小島にあった小島稲荷社や五社稲荷神社など四社も境内社として祀られている。  (参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”) ...続きを見る

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2008/08/25 19:54
西国街道の歴史散歩(三原市・成就寺)・11
西国街道の歴史散歩(三原市・成就寺)・11 所在地〜広島県三原市本町  妙正寺坂を南に下ると、右下に神応山成就寺が俯瞰できる。『三原志稿』によると本尊は千手観音で、もと豊田郡高山城下にあった小早川氏第8代貞平の菩提所であった。  その後兵火に罹り焼失したので、第15代正平が再建し、その菩提所ともなり、正平を相続した小早川隆景により天正19年(1591)この地に移された。  したがってこの寺には天文14年(1545)京都東福寺二百七世彭叔守仙の賛を付した小早川正平像がある。  またこの寺の墓地には江戸の古賀門下で明治維新後伊予岩城村... ...続きを見る

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2008/08/21 07:06
西国街道の歴史散歩(三原市・妙正寺)・10
西国街道の歴史散歩(三原市・妙正寺)・10 所在地〜広島県三原市本町  天守台跡から西へ向い、本町に入って坂道を上がると、野畑山の南面中腹に無量山正寿院と称する妙正寺がある。 本尊は十界大曼荼羅で、『三原志稿』所収「妙正寺略記」によれば、延宝2年(1674)三原城主浅野忠真が米田山の麓に昌寿寺の末寺として建立していたものを、享保9年(1724)浅野忠義が現在地に移した。  浅野家の菩提寺として境内に初代忠吉、二代忠長、11代忠助を除く歴代城主の墓がある。  なお寺宝の大田南畝筆なる書幅や三原妙正詩文7巻および妙正蓮華経8巻が三原... ...続きを見る

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2008/08/17 08:08
西国街道の歴史散歩(三原市・天守台跡)・9
西国街道の歴史散歩(三原市・天守台跡)・9 所在地〜広島県三原市館町  現存する天守台には新幹線三原駅構内北口から上がることができる。台上に三原市教育委員会はつぎのように史跡表示をしている。  小早川隆景は兄の吉川元春とともに甥の毛利輝元を助けて中国統一を完成させた。  瀬戸内海の水軍を掌握していた隆景は、天正年間毛利氏の広島築城と相前後して沼田川口の三原の小島をつないで城郭を築きここに移った。  三原城は海に向って舟入りを開き、城郭兼軍港としての機能を備えた名城で、満潮時にはあたかも海に浮んだように見えたので「浮城」とも呼ばれて... ...続きを見る

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2008/08/13 09:48
西国街道の歴史散歩(三原市・善教寺)・8
西国街道の歴史散歩(三原市・善教寺)・8 所在地〜三原市東町  観音寺境内から下ってバス路線を元の東町四丁目にもどり、古くから神明市で賑わう東町通りを西へ行くと、湧原川に掛かっている大橋手前の北側路地奥に竜松山善教寺がある。  本尊が阿弥陀如来で、もと桜山南麓にあったが、小早川隆景が三原城を築き、城下町を整備したとき現在地に移動した。  寛文6年(1666)の「善教寺由来書」によると、天正期(1573-92)の中頃、播州英賀の乱で姫路本徳寺の檀那かが大勢三原に移ったとき、住僧行円が下向してこの寺を開いた。  『御調郡志』によると... ...続きを見る

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2008/08/11 07:39
西国街道の歴史散歩(三原市・時宗観音寺)・7
西国街道の歴史散歩(三原市・時宗観音寺)・7 所在地〜三原市東町  松寿寺の北隣にあるのが、海南山道場院と号する観音寺である。  本尊は阿弥陀如来で、『三原志稿』によると寺内観音堂の十一面観音像は康平年中(1058-65)、豊田郡高崎浦(現竹原市)沖の海中より上がったものだという。  一遍上人はこれを奇瑞として小坂村に道場を開いて弟子の覚阿に与え、慶長年中(1596-1615)、僧阿弥のときこの地に移したと伝える。(参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”) ...続きを見る

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2008/08/06 07:08
西国街道の歴史散歩(三原市・曹洞宗松寿寺)・6
西国街道の歴史散歩(三原市・曹洞宗松寿寺)・6 所在地〜三原市東町  米山山麓の極楽寺の北に万年山松寿寺という曹洞宗の寺院があり、その名は『中国行程記』にも記載されているが、初めは臨済宗で昌寿寺と称していたという。  三原築城以前からの寺院で、「三原に寺は数々あれど、古きが一の松授寺」童歌に唄われた。  境内にキリシタン灯籠と武者小路実篤の歌碑がある。  本堂背後の墓地に聳える三重塔が美しい。(参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”) ...続きを見る

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2008/07/31 09:44
西国街道の歴史散歩(三原市・浄土宗極楽寺)・5
西国街道の歴史散歩(三原市・浄土宗極楽寺)・5 所在地〜三原市東町  文政2年(1819)に上梓された『三原志稿』によると、米田山麓にある日照山無量寿院極楽寺は本尊が阿弥陀如来で、法然の法係良忠が西国へ下向の時ト豊田郡船木村(現本郷町)に開山したと伝え、天正10年(1582)に現在地へ移った。  山門は天正のころ、三原城下町整備のとき、本郷から新高山城の裏門を移したので、藩政解体にともない明治11年(1878)、この極楽寺に移築された。  欄間の彫刻がが見事である。 ...続きを見る

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2008/07/28 08:50
西国街道の歴史散歩(三原市・松浜港とたくろう火)・4
西国街道の歴史散歩(三原市・松浜港とたくろう火)・4 所在地〜広島県三原市糸崎町  大浜の旧道は、「下がり松」のところから北西に大きく湾曲し、そこに海水が入り込んで松浜港が形成されている。港口東方の路地に旧遊郭地があり、辰巳(東南)の方角から戌亥(北西)の港口中央へ向う二筋の通路を歩くと、なめまかしく風情のある格子戸の家が軒を並べている。  西に湾曲して旧港口に荷揚げのために設けられた長い雁木が残っている。 松浜港は幕末の元治元年(1864)4月から翌慶応元年(1865)7月にかけて、三原城主第12代浅野忠英が宇都宮竜山の建議を容れて築調した... ...続きを見る

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2008/07/23 05:40
西国街道の歴史散歩(三原市・神功皇后船繋之松)・3
西国街道の歴史散歩(三原市・神功皇后船繋之松)・3 所在地〜広島県三原市糸崎町  糸崎神社から西へ向うと、国道2号が高架橋になるところで右側(北側)側道を30m程行くと右側に小さな祠がある。  この祠の中に船繋之松といわれる枯れた幹だけが残っているが、これについて『三原志稿』は「淡墨松」の項で次のように説明している。  「今下がり松という、皇船の錦纜を繋ぎし松という。箱崎より流れ来るともいへり。いにしへの樹は枯にしなれば、今の樹を植えさせ玉ふに、古に異ならず、枝葉ふしなびき、霊異を顕せしは、神愛の瑞也。……又夜泣きする小児に、此松を灯もし見... ...続きを見る

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2008/07/19 08:32
西国街道の歴史散歩(三原市・糸崎神社)・2
西国街道の歴史散歩(三原市・糸崎神社)・2 所在地〜広島県三原市糸崎町  木原町の観音寺から西国街道を西へ、旧大浜村に入ってしばらく行くと一里塚がある。広島札場より十七里、備後尾道から二里四十八丁の距離である。この大浜村に鎮座するのが地域で有名な「糸崎神社」である。  海に面した社殿で国道二号の直ぐ側に鳥居がある。しかし現在埋め立て工事中で海からの参拝はできず、昔日の面影はない。  鳥居近くの境内に梁川星厳の詩碑と「碁聖本因坊秀策師之碑」が立っている。  参道を北へ、三原城内の門であったという神門(三原市重文)をくぐると社殿西側に... ...続きを見る

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2008/07/18 05:51
西国街道の歴史散歩(三原市・観音寺)1
西国街道の歴史散歩(三原市・観音寺)1 所在地〜広島県三原市木原町  西国街道の尾道から栗原村を経て、吉和村の海辺近くへ出た西国街道は、再び北の古城山の方へ向い、福地村に入って鳴滝山麓の一里塚を左右に見ながら福地村と木原村の村境に至る。  『中国行程記』によると、この福地村の一里塚には「此一里山、広島札場より十八里、丁数不同、備後尾ノ道より一里四十八丁」と記されている。  南の御幸瀬戸の沖に岩子島(尾道市向島町岩子島)が見える。昔は鰯島と表記され、その西側の海上に小さな鯨島(大鯨・小鯨)が浮かんでいる。  洞窟のあるのが小鯨島... ...続きを見る

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2008/07/13 09:15
山陽古道の歴史散歩(防地峠の藩境碑等)
山陽古道の歴史散歩(防地峠の藩境碑等) 所在地〜尾道市高須町  高須町の一里塚から一旦バイパスに入り、市民病院方向へ行くと防地古池畔に「南無阿弥陀仏」と刻まれた法界石が見えてくる。  ここで右折し、バイパスのガードを潜って道なりに進み、坂道を上りきったところが旧福山藩と安芸広島藩の藩境である。  防地峠と呼ばれるこの場所には、西に向って右側に「従是東福山領」、左側に「従是西芸州領」と刻まれた石柱が立っている。  安芸広島と備後福山両藩の関所があったところで、昔はここに番所があり、役人が詰めていた。(案内板あり)  防地峠から... ...続きを見る

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2008/06/27 06:11
山陽古道の歴史散歩(道標・地蔵堂・一里塚跡)
山陽古道の歴史散歩(道標・地蔵堂・一里塚跡) 所在地〜尾道市高須町  高須町の今宮神社から西方に外れ山際沿いに南下すると、尾道バイパスに合流する。大田貝塚交差点の手前約20mの脇道右側に「道標」が立っている。それには「右ちか道」と刻まれており、右の高台に「関の地蔵」と呼ばれる地蔵堂があって、地域の信仰を集めている。  さらに100mほど進むと一里塚の石柱が立っている。  昔一里塚があったところで、今は石柱があるだけで昔の面影は無い。 ...続きを見る

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2008/06/24 14:31
山陽古道の歴史散歩(大田貝塚)
山陽古道の歴史散歩(大田貝塚) 所在地〜尾道市高須町出口竹之端  福山市今津町から藤井川の真田橋を渡って、現在の尾道市高須町に入る。  一旦旧国道2号に出て、今宮神社(高須神社)のところで西方に外れ山沿いを南下する。  尾道バイパス大田貝塚交差点をそのまま突っ切り、南下してひまわり保育園のところで右折すると、その先に広島県史跡大田貝塚がある。  この貝塚は松永湾北西部の小扇状地にある縄文時代前期から後期にかけての貝塚である。  混貝土層下の有機砂層から縄文前期の土器が出土し、埋葬された人骨74体以上が確認されている。... ...続きを見る

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2008/06/21 09:10
山陽古道の歴史散歩(駒繋の松がある寺)
山陽古道の歴史散歩(駒繋の松がある寺) 所在地〜福山市本郷町  県道府中〜松永線(県道48号)沿いの本郷小学校前の交差点を東方に向って約400メートル進むと左側に山門が見える。  永享年中(1429〜40)の建立で湯女山という山号をもつが、この地に温泉が湧出したことに由来する。(県道48号の北方約2Kmiに本郷温泉あり)  初め天台宗であったが、のち真宗にかわり、末寺5カ寺を有する古刹であったという。  山門は古志氏の大場山城の城門を移建したと伝え、境内に古志清左衛門が馬を繋いだとされる名松がある。  (参照〜森本繁著“備後... ...続きを見る

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2008/06/15 06:14
山陽古道の歴史散歩(誅殺された古志氏の史跡)
山陽古道の歴史散歩(誅殺された古志氏の史跡) 所在地〜福山市本郷町  今津町の本郷川をさかのぼると、古志氏の本拠大場山城跡及び古志氏の墓所がある昌源寺に至る。  古志氏は出雲古志郷の出自で、出雲の守護代尼子氏に仕えていたが、尼子氏の没落後毛利氏に臣従し、毛利氏が中国地方に覇権を握るに及び邪魔として誅殺された。  主君(古志清左衛門豊長)の非業の最期を悼んだ従僕の権平が、河原石に「玉安源玖」と刻んで昌源寺墓地に祀ったものである。  その非業とは、文禄元年(1592)8月25日三原城内で誅殺されたものである。  南溟山昌源寺は文明14... ...続きを見る

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2008/06/11 05:42
山陽古道の歴史散歩(薬師寺&蓮華寺)
山陽古道の歴史散歩(薬師寺&蓮華寺) 所在地〜福山市今津町  薬師寺は今津本陣から東へ戻った北の高台にあり、蓮華寺は今津本陣の西寄りにある。薬師寺の境内に「今日ばかりひとも年よれはつしぐれ」という芭蕉の句碑が立ち、両寺とも弘法大師が渡唐の途次、航海の安全を祈願して創建したといわれる。  薬師寺を東方院、蓮華寺を西方院と呼ぶが、蓮華寺の本尊は阿弥陀如来である。  本尊薬師如来の薬師寺は、高い石段を上った高台にあり、境内から松永湾が一望のもとに俯瞰できるが、蓮華寺は道路沿いにあるので、今津宿の脇本陣をつとめた。  また蓮華寺は剣... ...続きを見る

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2008/06/08 05:21
山陽古道の歴史散歩(今津本陣跡)
山陽古道の歴史散歩(今津本陣跡) 所在地〜福山市今津町  高諸神社から少し東に引き返すと、北側の丘の上に今津本陣跡がある。  備後の領内で西国街道(山陽古道)に設けられた2カ所の本陣のうちの1つであったが、慶長4年(1602)に今津宿が置かれたときから機能し、庄屋河本家によって代々世襲された。  幕末には駅馬5頭を備えて賑わったが、明治4年(1871)の農民一揆で焼き払われ、表門と塀だけが残った。  (参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”) ...続きを見る

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2008/06/03 05:50
山陽古道の歴史散歩(高諸神社)
山陽古道の歴史散歩(高諸神社) 所在地〜福山市今津町  神村町から山陽道を西進し、今津町に入ると、昔このあたりに一里塚があったそうであるが今は見当たらない。  さらに西進すると本郷川(幅約16m)に吾妻橋が架かっているので、さらに西進すると、幅広い三差路に出る。  左側に鳥居が見えるが、これが高諸神社である。  祭神は素戔鳴尊と剣比古神(つるぎひこのかみ)で、剣大明神と称された。  天武天皇白鳳時代の創建と「中国行程記」にも書かれている。  本来は、松永湾に突出した岬の上にあったから新羅王子がが侍臣3名と、この岬に... ...続きを見る

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2008/05/31 05:02
山陽古道の歴史散歩(上之町の観音堂)
山陽古道の歴史散歩(上之町の観音堂) 所在地〜福山市松永町上之町  本荘神社から山腹の小道を中之町の承天寺へ行く途中、道の下に小さな観音堂がある。  別ルートでは、本荘神社の石段を降りて町並を承天寺へ向けて歩いていると、ほぼ中間地点左側に、民家と民家の間の路地を左折すると突き当たりに観音堂がある。  堂内に仏像が3体祀られ、福山市の重要文化財に指定されている。  木造の阿弥陀如来像・地蔵菩薩半跏増・十一面観世音菩薩像である。(参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”) ...続きを見る

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2008/05/28 07:47
山陽古道の歴史散歩(塩崎神社)
山陽古道の歴史散歩(塩崎神社) 所在地〜福山市松永町明神端  承天寺から石段を降りて、羽原川沿いに南下すると塩崎神社が見えてくる。  塩崎神社はもと柳津の剣平に鎮座し、剣大名神と称していたが、本荘重政が松永塩田を開発したとき、社殿を子の地に移し、塩浜の守護神とした。  祭神は、神武天皇、素戔鳴尊と海神で、神武天皇御東征のみぎり、岸辺の柳に舟を繋いだところから柳津の地名が生じ、神武天皇を祀るようになったのだという。夏の祭礼のとき盛んに煙火を打ち上げるのは、本荘重政が創案した軍学の名残りだという。  その本荘重政の銅像は、... ...続きを見る

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2008/05/25 09:00
山陽古道の歴史散歩(本荘重政墓のある寺)
山陽古道の歴史散歩(本荘重政墓のある寺) 臨済宗承天寺 所在地〜福山市松永町中之町  本荘神社から歩いて数分のところまで来ると、左手に長い石段が見えてくる。これが吸江山承天寺である。寛文8年(1668)の建立で、開基は本荘重政である。  本荘家文書16点が福山市の重文に指定され、境内南側の墓地に広島県史跡の本荘重政の墓がある。  白亜の塀をめぐらした本荘家の墓地の中で、八角形の墓碑に「如風院殿憐情露石居士」と法名が刻まれている。 この墓所内には重政の弟重幸と子息重尚の墓もある。  一風変わった自然石に「風歌叢夢庵随幻居士」と刻... ...続きを見る

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2008/05/22 07:43
山陽古道の歴史散歩(本荘神社)
山陽古道の歴史散歩(本荘神社) 所在地〜福山市松永町上之町  山陽古道から若干外れるが、神村八幡神社から南方約1kmに本荘神社が位置する。羽原川を渡った丘の上に神社はあるが、途中の上之町界隈には、昔下駄工場が並んでいたが、今は一軒しか残っていない。  江戸時代の初め、本荘重政が松永湾を干拓し、寛文7年(1667)には塩田48浜が造成されたので人々が集まり、東部の山麓に居住するようになった。  今もその上之町に共同井戸が残っている。南流して来た羽原川が西に迂回する川向こうの、上之町集会場の階下である。花崗岩の石積みによる大... ...続きを見る

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2008/05/16 09:05
山陽古道の歴史散歩(松本古墳)
山陽古道の歴史散歩(松本古墳) 所在地〜福山市神村町九区  神村八幡神社の北東に位置し、五世紀前半の帆立貝式前方後円墳で、周濠の跡が残り、墳頂部に小祠がある。  径45m、高さ6.5mの二段築成の古墳で、墳丘周辺に埴輪と葺石がめぐらされていたと推定されている。  この古墳に限らず、松永湾岸には原始古代の遺跡が多く、北方の山間部には古代の窯業跡が密集している。 (参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”)   ...続きを見る

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2008/05/15 08:01
山陽古道の歴史散歩(神村八幡神社)
山陽古道の歴史散歩(神村八幡神社) 所在地〜福山市神村町九区  今伊勢宮を過ぎたところで、旧山陽古道は旧国道2号線と合流する。  その後宮前町に至るが、北側に鎮座するのが神村八幡宮で、神村・柳津・松永三カ村の産土神(うぶすなかみ)である。  延久元年(1069)の鎮座と伝えるが、この神社境内に阿良大名神(八重明神)の小祠が祀られている。  天正の末に石井又兵衛の妾阿良(遠幽妙浦信女・おやや)が松林院(法林院長覚)という修験者と密通して又兵衛に惨殺され、その怨霊がおややの火となって人々を悩ませたので、夫婦墓を建て小祠を祀った... ...続きを見る

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2008/05/14 08:10
山陽古道の歴史散歩(今伊勢宮)
山陽古道の歴史散歩(今伊勢宮) 所在地〜福山市神村町五区  赤坂八幡神社を後にして、西国街道(山陽古道)を西進すると、左側(南)に鳥居が見える。これが今伊勢宮で、旧国道2号とJR山陽本線を跨いで今伊勢宮の参道となる。  208を数える石段を上がると内宮が鎮座する。外宮はさらに53段上がったところに西向きに祀られている。  『中国行程記』には、この今伊勢宮を大きく扱っている「伊勢山といえるは、当所伊勢の社あり、社殿なし、社地伊勢大神宮の敷地なるゆえ、伊勢山という」と記されている。また「宮の馬場へ諸大名駕篭立所也」と書かれて... ...続きを見る

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2008/05/13 08:37
山陽古道の歴史散歩(赤坂八幡神社)
山陽古道の歴史散歩(赤坂八幡神社) 赤坂八幡神社&宝篋印塔 所在地〜福山市赤坂町赤坂  イコーカ山古墳を後にして、山陽古道(西国街道)を西にしばらく行くと、自然石を利用した大きな常夜燈が目に入る。ここの道を右に進むこと約50m、赤坂八幡神社の鳥居が見えてくる。これが目的の神社である。  (昔、常夜燈付近には、加屋村と神村との村境のほぼ中間点で、赤坂村の一里塚があった。)  祭神は、応神天皇、神功皇后、三女神。承知7年(840)創祀、建久2年(1191)の再建。天正8年(1580)神辺城主杉原盛重により再興、社領18貫(米2... ...続きを見る

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2008/05/06 06:22
山陽古道の歴史散歩(イコーカ山古墳)
山陽古道の歴史散歩(イコーカ山古墳)イコーカ山古墳 所在地〜福山市赤坂町一番組  旧国道2号の高架橋(JR山陽本線)を西へ抜けた直ぐ南にイコーカ山古墳がある。  津之郷加屋から南へ突き出た丘陵の先端部に築かれた直径約10mの円墳で、南西に続く丘陵の池下山古墳群の中の一つである。  丘は周囲が削り取られて、昔の面影は薄くなってきているが、近年になって保存の動きが出てきている。  この古墳の西裾にある宝篋印塔は、相輪を欠くが室町期の形式を備えたもので、「沼隈郡志」はこれを足利義昭の墓として... ...続きを見る

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2008/05/02 07:30
山陽古道の歴史探訪(田辺寺塔跡)
田辺寺(廃和光寺塔跡) 所在地〜福山市津之郷町坂部  「和名抄」によると、津之郷は古代の津宇郷の中心地である。その津之郷坂部に養老5年(721)創建と伝える和光寺があった。  和光廃寺跡と出土遺物は広島県指定の重要文化財となっているが、遺跡近くには永禄5年(1562)に建立された真言宗の田辺寺(でんぺいじ)がある。田辺寺の開基は津之郷串山城主の田辺光吉で。寺宝の木造多聞天立像は藤原期の作で広島県の重要文化財に指定されている。また同寺境内にある塔の中心礎石は養老石は養老5年開基当時の和光寺の... ...続きを見る

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2008/04/29 12:13
山陽古道の歴史探訪(足利義昭を祀る神社)
足利義昭を祀る惣堂神社 所在地〜福山市津之郷町本谷  津之郷の道標を後にし、西に向うとすぐ小さな橋があり、これを右折し津之郷小学校を右に見て、脇道を北に上がると、こんもりととした社叢が見える、此れが惣堂神社である。  悲運の将軍足利義昭を祀った惣堂神社である。  足利15代将軍義昭は、天正4年(1576)2月に紀州由良から備後鞆ノ津へやって来て、小松寺や公所谷に滞在したあと、山田一乗山城(現、福山市熊野町)で渡辺氏に保護され、さらにこの津之郷にやって来て御殿山に居住した。御殿山の跡は御殿... ...続きを見る

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2008/04/27 08:14
山陽古道の歴史探訪・(津之郷の道標)
津之郷の道標 所在地〜福山市津之郷町谷尻  三島神社から山陽古道に戻り、弘法さん入口を過ぎて少し西に行くと、谷尻のバス停がある。左側(南)の商店の軒下に「道標」がある。  これには「右ふく山 左大坂道」と刻まれている。大正5年6月に小林増太郎が建てた里程標もあったが、今は見当たらない。その里程標には、『右福山一里八町 笠岡五里十二町 玉島十里六町 岡山十八里十五町 左神辺三里三十町 高屋四里二十七町 矢掛八里三十四町 岡山十八里十八町』とあった。  山陽道を上って来た旅人は、ここから西神... ...続きを見る

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2008/04/24 06:36
山陽古道の歴史探訪(三島神社&月光寺)
三島神社&月光寺(ガッコウジ) 所在地〜福山市津之郷(弘法さん入口付近)  山陽古道(西国街道)山手町の一里塚を後にして西に進むと、弘法さん入口に差し掛かる。  地元では「弘法さん」と称されて親しまれているが、ここには浄水が湧き出る所でもあり、毎日この水を求めて大勢の人が訪れる。  この入口付近の左手(南方山陽古道から約100m)に、こんもりとした丘が見える。  ここには月光寺と三島神社が鎮座している。  月光寺と三島神社は隣り合わせにあるり、三島神社の祭神は大山祇神であるが、「... ...続きを見る

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2008/04/22 06:43
山陽古道の歴史探訪(山手の一里塚)
山手の一里塚 所在地〜福山市山手町江良  三寶寺から南下して、JA山郷支所のところから山手橋へ向うバス路線が通じているが、右折すると山陽古道(西国街道)である。  それを西へ行くと山手江良バス停の傍らに山手の一里塚跡がある。現在は道路南側に榎が聳えているが、反対側にあった松の木は枯死していまは無くなっている。  この榎は有志が植樹したものでその石碑も建っている。 ...続きを見る

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2008/04/20 06:28
山陽古道の歴史探訪(三寶寺)
銀山城主杉原氏の墓がある三寶寺 所在地〜福山市山手町  山陽古道は、宮光音の首塚から南下し、二本松のバス停で県道御幸松永線と合流する。  次の三本松の所で直進して芦田川沿いに西神島・草戸へ向う道路と松永へ向う山陽道に分かれる。この三本松の分岐点が郷分と山手の村境である。  山陽古道つまり西国街道を西へ進むと、北方の山が銀山城があったところで、この旗谷(はったんだ)という地所に大鏡山三寶寺がある。  大永2年(1522)山手銀山城主杉原匡信によって再建されたと伝える曹洞宗の寺院で、匡信・... ...続きを見る

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2008/04/18 05:15
山陽古道の歴史探訪(山手八幡社)
山手八幡神社 所在地〜福山市山手町  山手八幡神社は郷分町から山手町に入ったところに泉小学校があり、その小学校から西北に位置する。  山陽古道北側の地王山の中腹に位置するのであるが、荘厳にして森閑とした木立に囲まれた場所にある。  「福山志料」や「水野記」によると、貞観元年(859)年8月、宇佐八幡宮(大分県)から勧請し、その後、銀山(かなやま)城主杉原氏が16世紀に一旦衰えた神社を再建したと伝えられている。  祭神は、仲哀天皇・神功皇后・応神天皇である。  戦後日本国憲法の下で信教... ...続きを見る

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2008/04/16 16:43
山陽古道の歴史探訪・宮光音の首塚
宮光音(みやこうおん)の首塚 所在地〜福山市郷分町(山陽自動車道高架下)  現在、芦田川に架かっている立派な橋は、近年架け替えられた「大渡橋」であるが、山陽古道といわれる時代は、少し上流に遡った場所にあった。  当時の芦田川は「暴れ川」と言われるほど度々氾濫していた。当時の橋は増水すると通れなくなるので、渡し舟で往復していた。  山陽古道は芦田川の東側が中津原、西側が郷分となっている。(村境は芦田川の中央)  郷分側では、この大渡りを三光寺の渡りと呼び、渡し場のところから南の土手下を昔... ...続きを見る

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2008/04/15 07:10
光市・象ケ鼻岬の大師堂
大師堂 所在地〜光市室積(象ケ鼻岬突端)  今から1200年前、弘法大師が唐より帰朝の際、象鼻ケ岬の突端のこの地に立ち寄り、当山において7日7夜の護摩供養の後、浄水で自像を刻み、さらに一個の自然石に厨子を彫られて、これを安置されたと伝えられる霊場である。  境内には御手洗観音・弘法大師像等がある。  また、ここ大師堂に至るまでの路傍には四国八十八ケ所に習って、室積八十八ケ所大師尊が立ち並んでいる。  社伝によると、「この渚の小石は大師の加持石という。これをとらず。ただし、痘瘡に効き目が... ...続きを見る

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2008/04/12 06:53
光市・史跡室積台場
史跡室積台場(通称女台場) 所在地〜山口県光市室積(象鼻ケ岬突端付近)  昭和51年7月14日光市指定文化財に指定されているが、台場は、幕末、外国船の日本近海への出没、アヘン戦争に始まる対外情勢の緊迫につれて、長州藩が藩内の諸沿岸の防備のため海岸要衝の地に築塁した防塁である。  室積のこの台場は、諸記録から判断すると弘化3年(1846)以前に築塁されており、後に地元の人々の手によって補修されたと考えられる。  なお、地域の古老の話によると、昭和10年ごろまでは数基あったようであるが、現存... ...続きを見る

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2008/04/11 07:02
光市の長州藩撫育方室積会所跡
長州藩撫育方会所跡 所在地〜山口県光市室積8  長州藩(萩毛利藩)は江戸中期の宝暦年間(1751〜63)に、藩の財政改革の一つとして、当時全国的規模で盛んになってきた海上輸送による商品流通に係わり、利益を上げるため、新設した撫育方の特別資金により、瀬戸内海側の室積・中関(防府)・伊崎(下関)の三つの商業港を整備して会所(役所)を置き、北前船などと商取引を行わせた。  室積の会所の設置は明和6年(1769)といわれる。  安永2年からこの地を藩が買い上げて役所とし、藩内各地の米蔵を移築して... ...続きを見る

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2008/04/10 05:56
光市・普賢寺探訪
峨嵋山臨済宗普賢寺  創建〜一条天皇の寛弘3年(1006)と伝わる。  開基〜性空上人 寛弘4年3月13日入成  本尊〜普賢菩薩像 開帳は50年毎  縁起  播州書写山円教寺の住職である性空上人は、長年、普賢菩薩を拝したいと願っていた。  ある夜夢のお告げにより、周防室積の地に錫を留めるに至り、当時の古老に種々の昔の話を聞かれた。そして漁師の手によって沖合いの海中より出現の霊像を拝され、此れを普賢山上大多和羅山に庵を結び安置された。  後年現在の場所に普賢寺御堂が建立され、本尊とし... ...続きを見る

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2008/04/08 06:47
竹原市の史跡探訪(浦宗勝ゆかりの神社)・14
床浦神社(トコウラ) 所在地〜竹原市忠海町床浦    この神社は、別名海上大名上とも言われているように、海に関係する伝承も多く伝えている。  もと城山に祀られていたが、浦宗勝公が城を築いたとき、現在の場所に移したという。  芸藩通誌には、小早川水軍の将、浦宗勝が永禄8年(1565)と天正元年(1583)に社殿を造営したことを示す棟札が記されているが、今は見当たらない。  昔から疱瘡の神として忠海のみならず広く四国からも信仰され、文化8年(1811)予州松山候より常夜灯を奉納された。 ... ...続きを見る

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2008/04/03 08:03
竹原市の史跡探訪(水軍の将の墓がある寺)・13
翫月山勝運寺(曹洞宗) 所在地〜竹原市忠海町床浦 ...続きを見る

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2008/04/02 06:59
竹原市の史跡探訪(賀茂神社)・12
賀茂神社 所在地〜竹原市東野町  賀茂神社御畧記   御祭神〜右八幡殿 応神天皇、仲媛命、神功皇后         左賀茂殿 賀茂別雷神(カモノワケイカヅチノカミ)  神社境内にある説明文によると  (加茂郡の呼称は、神武天皇御神教により、山城の国上賀茂村鴨山の麓に賀茂別雷神を、下賀茂村糺の社に、その御母玉依媛命及び外祖父賀茂建角見命(カモノタケツミノミコト)を奉斎せられ両社合わせて、山城の国の一の宮として尊崇せらる。  これ即ち明治の制、官幣大社賀茂神社である。その神領地も全... ...続きを見る

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2008/04/01 05:39
竹原市の史跡探訪(小早川家墓地&手島屋敷)・11
小早川家墓地と手島屋敷 所在地〜竹原市東野  「竹原小早川家の墓地」  宝篋印塔約10基、五輪塔約20基ほどがある。  城の西北の方角にあたることからみても竹原小早川家の墓地に間違いはない。  ほとんどが中世末期の様式で、この上の尾根に二基の宝篋印塔は隆景の養父の竹原小早川興景夫妻の墓と伝承されている。  竹原小早川菩提寺の法常寺(現三原市西町)にも宝篋印塔や五輪塔の残欠がある。(竹原市観光協会案内板より) ...続きを見る

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2008/03/30 09:54
竹原市の史跡探訪(毘沙門岩)・10
毘沙門岩 所在地〜竹原市東野町  毘沙門天は、四天王(持国天、増長天、広目天、多門天=毘沙門天)のうち、北方を守る神であり、独立して福徳富貴の神とし崇敬されている。  広く仏法守護の役割を表わすために、武装忿怒の形となっている。  宝冠(墨)や火焔(朱)の描き出しは、後世手に入れたようであるが丁寧である。右手は腰にあて、左手は宝塔を捧げている。(宝塔は上部欠失)  体躯全体は堂々とした量感をもち威厳がある。  裳先は明確である。この像は何よりも印象づけるのは頭部であり目鼻口の刻出は憤... ...続きを見る

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2008/03/29 08:40
竹原市の史跡探訪(小早川家ゆかりの城跡と神社)・9
木村城跡と和賀神社 所在地〜竹原市新庄町  「木村城跡」〜広島県史跡。昭和48年3月28日指定  正嘉2年(1258)都宇竹原荘の地頭職として、たけはら小早川家の初代である政景(沼田小早川家茂平の子)がこの城を構えた。  天文19年(1550)毛利氏から養子として迎えられていた14代隆景が沼田小早川家を相続して本郷(三原市本郷町)の高山城に移るまでの約300年間、竹原小早川家の本拠であった山城である。  城跡は本丸を中心に数多くの「曲輪」が配置され、井戸跡や土塁跡、堀切などの遺構をとど... ...続きを見る

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2008/03/28 08:03
竹原市の史跡探訪(小早川家の子弟が学んだ寺)・8
浄土真宗照蓮寺 所在地〜竹原市竹原町  もと定林寺(禅宗)と呼ばれ、小早川氏代々の子弟が学んだ寺で、寺領300石を受けていた。  応安元年(1361)の寄進状にも定林寺の名が見られる。  頼春水、春風、杏坪と親しかった恵明(獅絃)菅茶山と親交のあった恵範(片運)等の学問僧が輩出している。  明治に中村三理により勧学小社を設け英語教育が行われた。  高麗鐘(こまのかね)・峻豊4年(963)の銘があり国の重要文化財に指定されている。  小祇園という名庭園のほか、頼山陽の祖父母の墓や、叔... ...続きを見る

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2008/03/27 07:23
竹原市の史跡探訪(忠孝岩のある神社)・7
磯宮八幡宮 所在地〜竹原市田ノ浦 ...続きを見る

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2008/03/25 07:34
竹原市の史跡探訪(住吉神社と常夜灯)・6
住吉神社と常夜灯 所在地〜竹原市竹原町下市  海運業、商業、塩業等を含む人々に信仰されている。  住吉神社の前にある川は、本川といい竹原下市の大切な港であった。  元禄元年(1688)藩営事業として豊田・賀茂安芸三郡より郡夫を動員して、寛延2年(1749)藩営工事、明和元年から4年(1767〜1770)の村請工事で港が掘られこの港の為に、常夜灯(文政8年 1825)が設けられている。  竹原に数ある祭りの中で「住吉まつり」は、竹原三大祭りの一つとして伝統を誇り、毎年7月下旬、本川一帯を... ...続きを見る

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2008/03/24 07:09
竹原市の史跡探訪(村上元吉の墓)・5
能島村上水軍村上元吉の墓   竹原市史跡指定 所在地〜竹原市竹原町田中 ...続きを見る

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2008/03/23 06:03
竹原市の史跡探訪(石塔)・4
歴史民俗資料館の石塔 所在地〜竹原市上市 歴史民俗資料館の裏    このふたつの石塔は、竹原小早川氏の菩提寺であった法浄寺跡(竹原市新庄町)から出土したもの。(現在法浄寺は法常寺となり、三原市西野町に移転している)  左の宝篋印塔は、各部それぞれ異なる宝篋印塔の一部からなっているが、その基礎の大きさから14世紀中ごろ、小早川氏のものと考えられている。  右の塔は、基礎は宝篋印塔のものであるが、上には五輪塔の水輪・火輪・風空輪が乗っている。おそらくどこかで間違えて乗せられたものと推測でき... ...続きを見る

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2008/03/22 07:41
竹原市の史跡探訪(普明閣のある寺)・3
浄土宗西方寺 所在地〜竹原市下市  もとは田中町にある地蔵堂の近くにあり、小早川氏の頃禅宗で300石を受けていた。  慶長15年(1610)の下市の大火で類焼し、翌年妙法寺跡の此の地に移ってきた。  妙法寺の往時、嘯岳鼎虎(しょうがくていこ)は、永禄3年(1560)に明から帰り小早川隆景に請われてこの寺の僧となり更に吉田(現安芸吉田市)の大通院に招かれ(毛利元就)元就の菩提寺洞春寺の開山、天正5年(1577)隆景が新高山(現三原市本郷町)に建立した匡真寺(きょしんじ)の開山となっている。... ...続きを見る

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2008/03/21 06:01
竹原市の史跡探訪(著名人の墓がある寺)・2
不老山春秋院長生寺 所在地〜広島県竹原市下市  真言宗の寺院。伊予河野氏57代河野通直は、天正13年(1585)豊臣秀吉の四国の役によって伊予を追われ、竹原に身をよせたが、天正15年(1587)24歳で不運のうちにその一生を閉じた。  若くして逝った通直を哀れんだ小早川隆景がその菩提を弔うため建立した寺である。  当時は禅宗であったが、正保元年(1644)真言宗に改宗。  境内には、学問の神を祀る「庚申堂」があり、河野通直の墓、勤王の志士唐崎常陸介墓(県指定)、下市一邑志(しもいちいち... ...続きを見る

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2008/03/20 08:00
竹原市の史跡探訪
頼山陽と町並地区  「安芸の小京都」と呼ばれるように、竹原は平安時代より、京都下鴨神社の荘園として栄えてきた。  そのため京都にちなんだ地名が残っている。例えば、賀茂川、賀茂神社などがそうである。  また、多くの有名人との関係も見過ごすことはできない。小早川隆景、唐崎常陸之介、頼惟清、頼山陽などである。  最近では「町並保存地域」で名がとおっているが、棒瓦の屋根、出格子等にみられるように江戸時代の建物が多く残っている。  少し前までは、塩田が盛んで豊な町であったことも、文人墨客を生んだ... ...続きを見る

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2008/03/19 09:56
府中市の史跡探訪(木綿屋久三郎の墓)・13
大戸久三郎の墓 所在地〜広島県府中市出口町  首無地蔵の境内を抜けて裏手の丘(墓地)にある。  大戸家は代々府中味噌を家業とする出口村の庄屋で、久三郎直純は朱子学を学び、頼山陽や菅茶山とも親交があった文化人である。  墓は大戸家累代の墓地の中にあるが、出口郷愛会は、つぎのような案内板を出している。  大戸直純は寛延2年(1749)に生まれ、27歳にして出口村の庄屋となり、人情厚く村民から尊父慈母の如く慕われていた。  向学心に燃える郷党の若者のために楽群館という学塾を開設したり、天明... ...続きを見る

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2008/03/17 07:57
府中市の史跡探訪(備後国府の総社)・12
小野神社 所在地〜広島県府中市元町  栄明寺(前ブログ参照)の東山上に小野神社が祀られている。  この神社は備後国府の総社で、昔国府には、国中の神社を遥拝するための総社が建立され、国司はここに参詣することによって、国中のすべての神を斎(いつき)祀ることができた。  『西備名区』には、「むかし、いつの頃にやありけん、伊勢の国より軍平来たり、八ッ尾山城を攻めしとき、敗軍して軍陣守護の神璽を捨て置き逃げ帰る。里人小屋を営み、遷し祭り、終に此の地の氏神とす」とある。  祭神は押媛(おしひめ)神... ...続きを見る

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2008/03/16 05:30
府中市の史跡探訪(栄明寺)・11
石州路沿いにある「真言宗栄明寺」 所在地〜広島県府中市元町  音無川に架かる密語橋から北を見ると、白壁と寺院の屋根が見える。  白亜の山門は竜宮城を思わす。  真言宗の別格本山で、本尊は薬師如来である。正慶・建武年間(1332-35)、讃岐善通寺の宥範上人によって石州路に近いこの地に創建された。  昔の石州路は、新市から府中平野の北麓沿いに出口町へ出て、そこから荒谷・木野山・上下へと通じていたので、音無川に架かっていた密語橋を渡る石州路がここを通っていた。  元町史考会の案内板には、... ...続きを見る

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2008/03/14 07:36
府中市の史跡探訪(密語橋)・10
密語橋(ささやきばし) 所在地〜広島県府中市元町  音無川沿いを北上すると「密語橋」に至るが、橋際に栄明寺新四国の道標とともに、密語橋の石碑が立ち、傍らに元町史考会の史跡案内がある。  それによると、江戸時代の中期、石州路の道筋にあったこの川には幅1間、長さ3間の橋が架かっていた。  そこで土地の風流人は能因法師の古歌       「熊野なる おとなし川を 渡さばや ささやきのはし しのびしのびに」 を引用して、この川を音無川と呼び、橋を密語橋と名付けたというのである。そのため、この... ...続きを見る

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2008/03/13 07:19
府中市の史跡探訪(金龍寺)・9
浄土宗金龍寺 所在地〜広島県府中市元町  本山町との境の山麓に紫雲山金龍寺がある。  『西備名区』によると、この寺はもと蓮池山吉田寺という天台宗の古刹であった。  『水野記』では、大同元年(806)に建立された吉田山興福院金龍寺が元和6年(1620)の洪水で山崩れが起こり埋没したと記されている。  この金龍寺の山門横に建てられている元町史考会の案内板によると、当寺はもと蓮池山吉田寺という天台宗の大寺で、今よりおよそ千二百年むかし、聖徳太子の創建と伝え、何時の頃からか廃寺となり、大永5年... ...続きを見る

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2008/03/12 18:42
府中市の史跡探訪(日本一の石灯籠)・8
日本一の石灯籠(金刀比羅宮) 所在地〜広島県府中市府中町  地上29尺4寸、笠石の面積4畳半余と記され、由来を記した案内文によると、福山阿部氏第5代藩主備中守正精の時代、文化7年(1810)三浦勘右衛門によって創始されていた当所の金毘羅宮境内に、林新五郎という人物が、日本一の大石灯籠の建立を思い立ち、天保4年(1833)に着工したのがこの常夜灯である。  爾来8ヵ年の日数近郷20カ村の人夫2万余人の寄進および銀5貫匁の浄財により、天保12年12月に完成した。  中空に聳える石灯籠には、川... ...続きを見る

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2008/03/11 07:39
府中市の史跡探訪(藤野神社香古堂)・7
仁医藤野昌言を祀った藤野神社 所在地〜広島県府中市出口町  府中公園の庄の池を右手に見て駐車場後ろの丘の上に小祠がある。道端に出口郷愛会の案内板があり、それによると、藤野昌言は本名を守誠(もりのぶ)といい、天保3年(1832)府中市朝日町で生まれた。27歳のとき大坂に出て医学を修め、府中に帰って医業に専心、貧しい時代に困窮していた人の治療費もとらず、生活の面倒までもみたといわれ、正に医は仁術を言葉通り実行した。  明治12年府中市にコレラが猛威をふるったとき、多くの医者が恐れる中で敢然とし... ...続きを見る

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2008/03/10 06:34
府中市の史跡探訪(甘南備神社)・6
甘南備神社(かんなび) 所在地〜広島県府中市出口町  県道小畠・府中線を北上し、宮の下バス停の左手に甘南備神社の鳥居が見える。  参道は一直線で、長く緩やかな上り坂となっており、途中石段があるためこの参道からは車での参拝できない。車でいくには、この鳥居からさらに県道を北上すること約1km、右手に前回載せた「梵字岩」のところから、左手の出口川に架かっている橋を渡って境内駐車場まで行ける。  鳥居のある表参道は、途中の石段に黄金の鳥が鳴くところがあって、拍手をすると奇妙な音がする。  この... ...続きを見る

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2008/03/09 06:39
府中市の史跡探訪(梵字岩)・5
梵字岩 所在地〜広島県府中市出口町  旧石州街道を出口川沿いに北上していくと、左側に甘南備神社へ向う橋が架かっているが、その橋の向かい(石州街道)右手にある。   彫ってある梵字は、不動明王の種子真言で「カーン」と読むらしい。  不動明王は昔山伏たちが深く信仰していた仏である。  この文字は何時ごろ彫られたものか不明であるが、落城した八ッ尾山城兵の供養のために彫ったのであろうかと色々推測されている。 ...続きを見る

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2008/03/08 06:56
府中市の史跡探訪(府中八幡神社)・4
府中八幡神社 所在地〜広島県府中市出口町羽中  首無地蔵駐車場から20mほど東へ行くと四差路があるので、左折すると後は一本道で神社に行ける。  この八幡神社のある場所は、八ッ尾山の東南麓にあるが、標高345.9mの山である。山頂には建仁2年(1202)備後守護杉原伯耆守光平によって築かれた城があった。  祭神は、一般の八幡宮と同じ応神天皇、神功皇后・比売大神である。案内板によると、昔現社殿の裏山宮の壇に八ッ尾山城の守護神として祀られ、創建は嘉吉3年(1443)、備後山名持豊の目代宮田備後... ...続きを見る

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2008/03/07 07:38
府中市の史跡探訪(首無地蔵)・3
首無地蔵 所在地〜広島県府中市出口町 ...続きを見る

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2008/03/06 06:42
府中市の史跡探訪(日吉神社)・2
青目寺守護神「日吉神社」  青目寺から南下して市街地方向に向うと、右手に2本の石柱が見える。右手の道路は2本あるが、石柱のある方に進み道なりに行くと行き止まり状態になる。  途中の道路は起伏が激しいものの自動車は十分通行できる。  行き止まり状態になっている場所は、良く見ると右手にV字の道路があることがわかる。急な上りになっており約50mの間狭隘であるが、ここも普通自動車は通れるが離合はできない。  右手に辻堂が建っており左手に鳥居があって、これが日吉神社である。  さらに左手の上り坂... ...続きを見る

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2008/03/05 06:29
府中市の史跡探訪(青目寺)
岩谷山青目寺(しょうもくじ) 所在地〜広島県府中市本山町 ...続きを見る

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2008/03/03 06:55
新市町の史跡探訪(品治別神社)・7
品治別(ほんじわけ)神社           (宮脇石器時代遺跡のある神社) 所在地〜広島県福山市新市町常  厚山の宝篋印塔を後にし、県道26号に出て一旦南下すると、旧道との分岐点(右は府中市方面県道399号)に出る。この県道399号を行くと右手に鳥居があり、傍らに「宮脇石器時代遺跡」の標柱が立っており、ここが品治別神社である。  神社の由緒を書いた案内板を要約すると、祭神は第11代垂仁天皇の皇子品牟佗和気命(ほむちわけのみこと)で、皇子は生まれながらに口が不自由であったが、神のお告げで... ...続きを見る

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2008/03/02 07:05
新市町の史跡探訪(南北朝時代の宝篋印塔)・6
厚山の宝篋印塔 所在地〜広島県福山市新市町金丸暑山  県道26号を北上し金丸地区に入り、厚山バス停付近で神谷川に架かっている橋を渡る。現在工事中であるが道なりに行くと史跡案内板が見えてくる。この側に路地があるので、歩いて約20m北上すると、五輪塔群の前に立派な宝篋印塔三基が立っている。   この宝篋印塔は、基礎の一面に建立年の記念銘があることから1958年に広島県の重要文化財に指定された。  宝篋印塔は、中国で三世一切の諸仏の全身舎利を奉蔵するために建立された。  宝篋印陀尼経を納める... ...続きを見る

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2008/03/01 06:20
新市町の史跡探訪(網引公碑と至孝堂)・5
網引公碑と至孝堂 所在地〜広島県福山市新市町下安  一宮さん(吉備津神社)の参拝を終えて、東側の県道26号へ出ると県道を隔てて神池がある。この神池を左に見て、南に下がり宮内中バステ停のところから路地に入り、南東方向に行くと、神谷川の右岸にでる。  安楽寺橋南詰の道路脇に、平成3年に建て替えた網引(あびき)公碑と至孝堂跡の碑がある。  網引公碑に並べて小祠が祀られ、碑石の裏面に福山藩侍読衣川閑斎の筆で網引公金村の孝心を讃えた文章が書かれている。  「続日本記」によると、神護景雲2年(76... ...続きを見る

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2008/02/29 07:14
新市町の史跡探訪(素盞鳴神社)・4
素盞鳴神社(すさのお)と相方城門 所在地〜広島県福山市新市町上戸手 ...続きを見る

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2008/02/28 07:30
新市町の史跡探訪(相方城跡)・3
相方城跡(左賀田城跡) 所在地〜広島県福山市新市町相方 ...続きを見る

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2008/02/27 06:43
新市町の史跡探訪(一宮さんの石垣)・2
吉備津神社の石垣と桃太郎像 所在地〜広島県福山市新市町宮内上市 ...続きを見る

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2008/02/26 08:43
新市町の史跡探訪(備後一の宮吉備津神社)
吉備津神社(一宮さん) 所在地〜福山市新市町宮内上市 ...続きを見る

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2008/02/26 07:23
神辺町の史跡探訪(道標)・13
古道筋の道標 所在地〜広島県福山市神辺町下御領  国道313号から西進し、旧道を国分寺への道に入ると、右手北側に下御領八幡神社の鳥居が見える。昔、国分寺前の参道に「道標」が立っていた。この「道標」は現在東隣の下御領八幡神社の境内に移されている。  「右石州ぎんざん道 左九州おうくわん 文政十年中秋、十方助力」と刻まれ、側にもう一つ「右かさをか近道、左かんなべかい道」と刻まれた小さな道標である。  中国行程記によると、神辺の宿場町を出た山陽道は、一里塚を過ぎた古市のところで笠岡道を分岐させ... ...続きを見る

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2008/02/24 16:16
神辺の史跡探訪(一里塚)・12
上御領の一里塚 所在地〜広島県福山市神辺町上御領 ...続きを見る

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2008/02/23 06:02
神辺町の史跡探訪(備後・備中国境碑)・11
備後・備中の国境碑 所在地〜広島県福山市神辺町上御領 ...続きを見る

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2008/02/22 05:20
神辺町の史跡探訪(四面地蔵)・10
四面地蔵 所在地〜広島県福山市神辺町八尋 ...続きを見る

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2008/02/21 05:59
神辺町の史跡探訪(葛原屋敷)・9
葛原勾当・しげる屋敷 所在地〜広島県福山市神辺町八尋    八尋の総氏神の二宮神社参道入口鳥居の東側が葛原屋敷である。  正面の石垣の左右に葛原勾当と葛原しげるの記念碑が建っている。勾当の碑は、「琴師葛原勾当碑」とあり隣町井原市の興譲館教授坂谷丈の撰並書である。  葛原しげるの碑は「葛原しげる先生童謡碑」には中村孝也の筆跡で、「ぎんぎんぎらぎら夕日が沈む ぎんぎんぎらぎら日が沈む まっかっかっかっ空の雲 みんなのお顔もまっかっかっ ぎんぎんぎらぎら日が沈む」と刻まれている。 ...続きを見る

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2008/02/20 08:22
神辺町の史跡探訪(天別豊姫神社)・8
天別豊姫神社(あまわけとよひめ) 所在地〜広島県福山市神辺町川北  地元では、「神辺大明神」と呼ばれている。場所は「菅茶山」の墓地を出て国道313号を西に行った黄葉山(神辺城跡)の山麓にある。  国道沿いに鳥居があるのですぐに分かる。祭神は豊玉姫命で、神辺平野が穴海(あなのうみ)と呼ばれてい