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zoom RSS 前田利家の死の直前

<<   作成日時 : 2017/05/09 12:43   >>

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1/20に秀吉の死の間際をUPしたのだが、その秀吉の盟友と言われたのが前田利家だ。
 秀吉から五大老に推された利家だが、秀吉の死後にも豊臣家の嫡男「秀頼」のことを気に留めていたという。
 秀吉は慶長3年(1598)8月18日に亡くなるのだが、利家はそれから僅か半年後の慶長4年3月3日に大坂で亡くなっている。
 病名は不明だと伝わっている。
 利家は、秀吉から後継者である「秀頼」の守り役を仰せつかっている。 
 マァ、遺言なのだが、家康と三成の対立が深まってくる。
 利家は反家康派の中心に担がれていたため、調停工作に心を痛めていたのが死期を早めたという説もある。
 
 家康が見舞いに訪れた時利家は「儂はもう死ぬので、利長(嫡男)のことは頼む」と伝えたという逸話も残っている。

 それから1ケ月後、危篤の際には自ら経帷子を縫い、利家に着せようとするまつ(芳春院)が「あなたは若い頃より度々の戦に出、多くの人を殺めてきました。後生が恐ろしいものです。どうぞこの経帷子をお召しになってください」と言った。
 利家は、「儂はこれまで幾多の戦に出て、敵を殺してきたが、理由なく人を殺したり、苦しめたことは無い。だから地獄に落ちるはずが無い。もし地獄へ参ったら先に行った者どもと、閻魔・牛頭馬頭どもを相手にひと戦してくれよう。その経帷子はお前が後から被って来い」と言って着るのを拒んだというのだ。(古心堂叢書利家公夜話首書)
 一説には死の床でのあまりの苦痛に腹を立て割腹自殺をしたともいうのだが・・・
 
 後に徳山則秀からこの話を聞いた家康は「天晴れ」と賞賛したという(富田景周の『越富賀三州志』)。

 加賀にはこのような歌が遺されている。
 
 「天下 葵よ 加賀様 梅よ 梅は葵の たかに咲く」

 「三葉葵紋の徳川家よ 剣梅鉢紋の前田家よ 梅の花は葵より高い所に咲く」という意味である。
 家康と利家は秀吉の時代、五大老の一番の上座に肩を並べて座っていたが秀吉が死ぬと徳川家が天下をおさめる大将軍となった。
 前田家は大々名であるとはいえ、徳川家の家来にならなければならなかった。その時の運に対し、加賀の人々はその口惜しさを歌ったと伝えられているのだ。

画像

                  前田利家

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