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zoom RSS 戦国時代の豪傑・剣豪〜塙団右衛門

<<   作成日時 : 2016/08/06 17:11   >>

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 出自については正確には分かっていないと言われており不詳である。
 尾張国の人で、同姓であるため、織田氏の家臣・塙直政の一族か縁者とする説もあるが、遠州横須賀衆で浪人となった須田次郎左衛門という人物が本人であるという説や、上総国養老の里の出身で千葉氏の家来だったが、小田原北条氏家臣で「地黄八幡」の旗印で知られる北条綱成に仕えたという説、相州玉縄の住人で玉縄城主となった北条左衛門大夫の徒士となったという説もあり、出身地や素性も定かではない。

 前歴についても不詳であり謎に包まれた武将である。
 猟夫より身を起して織田家臣の坂井政尚の馬卒となり、功をあげて織田信長に士分として取り立てられたが、酒を飲むと暴れ出すという悪癖のために人を殺めてしまって放逐され、浪人となって諸国放浪したという説もあれば、前述のように北条綱成の家臣であったが、小田原合戦の後に浪人となったとする説もある。
 小早川隆景の家臣瀧権右衛門に仕えて200石の知行を得ていたが、浪人となって貧窮し、豊臣秀次の家臣木村重茲の小姓達が憐れに思い、衣類を揃えてやって次の雇先加藤氏に口添えしたという説もある。
 伝説的な話も多い武将なのだが、小生は後に講釈師が面白おかしく語ったものにさらに尾ひれがついて伝わったのでは・・・と勝手に解釈している。

 話を戻して生活に困窮していた塙団右衛門は、四国伊予松山の城主加藤嘉明に仕えることになる。
 与えられた役職は鉄砲大将であったという。
 しかし、この団右衛門、自己中心的で独りよがりのところもあってか同僚と暫し衝突する面も多々あったという。
 そして、手柄を得ることが常に頭にあったようで出過ぎた振る舞いも多かったという。
 それが後の関ケ原の戦いのときに出てしまった。
 戦場で一番乗りを果たしたいばかりに足軽に命令を下した後、自身も槍を持って一騎掛けに敵陣に駆け行って大暴れしたのだが、嘉明に命令違反で叱責されるや頭に血が上り出奔してしまうのだ。

 以来一匹狼で浪人生活を余儀なくされて放浪していたのだが、大阪冬の陣で豊臣方に加担することになる。
 徳川方に夜襲をかけるのが得意で「夜討大将塙団右衛門」という木札をばら撒いて引き上げたことで、一躍有名になったのだが、大阪夏の陣で討ち死にしてしまう。

 後藤又兵衛といい塙団右衛門といい、力はあるのだが残念ながら同僚と仲良くという気持ちが薄かったことで、これが致命傷となり同僚に疎まれたのであろうと思う。
 それが一国一城の主としてではなく、豪傑扱いで後世に伝わったのであろう・・・と・・・小生は勝手に思っている。
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