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zoom RSS 戦国時代の豪傑、剣豪と云えば?

<<   作成日時 : 2016/07/20 10:15   >>

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 戦国時代と言えば一国一城の主となるべく腕自慢、力自慢の豪の者が割拠した時代でもある。
 小生の頭の中にある豪傑で思い出すのは、後藤又兵衛、塙団右衛門、可児歳三、上泉信綱、柳生宗厳・宗矩親子、塚原卜伝等々いる。
 剣術の技を磨いて諸国放浪していた宮本武蔵や佐々木小次郎などもいる。
 その他にもいると思うが割愛させて頂くとして、今回は後藤又兵衛基次ついて簡記したい。

○ 後藤又兵衛(基次)
  後藤家の先祖は播磨国の地侍で又兵衛はそこで生まれている。
  又兵衛は幼いころ黒田如水に養われたと言われているのだが、実際は人質だった
 との説もある。
  その後、如水の息子長政に仕え、侍大将として秀吉の九州征伐、文禄の役、関ケ
 原の戦いなどに従軍している。その功もあって大隈1万5千石の城主になっている。
  その後主君との折り合いが悪くなってすべてなげうって出奔してしまう。
   〜これには諸説があってよく分かっていないといった方が良いようだ〜
  基次は中々仕えることができなかったが、これも主君長政が全国に協力状(基次を
 召し抱えないこと〜奉公構といって再仕官の妨害行為)でもって妨害したとの説もある。
  このため基次は京都に引きこもったと言われているが、やがて豊臣家と徳川家の
 対立が深まると、基次は豊臣家に誘われて大坂城に入城する。
  豊臣秀頼に信頼された基次は牢人衆の筆頭として豊臣軍を指揮し、徳川幕府軍と
 激しく戦っている。
  基次は智勇に優れ、大坂方の将兵の信望を集めた。
  翌年、夏の陣でも基次は活躍するも、迎撃のために出陣した後藤勢は、運悪く発生
 した濃霧のせいで友軍の到着が遅れたため孤立してしまうのだ。
 基次は徳川方の水野勝成や伊達政宗等の大軍を相手に奮戦、壮絶な討死を遂げ
 てしまった。
  家臣が記した史料によると体格の良い大男だったという。
  武具や服装には拘りを持っていて、家臣や与力たちが真似をしたともいう。
画像

                  後藤又兵衛(基次)
 

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