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zoom RSS 織田信長の初陣と側室の話

<<   作成日時 : 2016/03/03 14:40   >>

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 織田信長の初陣については前回もサラッと述べたのだが、詳細な記録はないというのが本当らしい。
 前回もUPしたように初陣は天文16年(1547)吉良の大浜城攻めであるが、これは今川義元の勢力が伸びてきていたことで吉良大浜を攻めている。
 一応初陣ということもあって信長主従は、今川方の軍事基地に次々と火を放って引き下がり、翌日には帰ったという。
 この時のいでたちは、“紅筋が入った頭巾”をかぶっていたといい、馬乗り羽織を着て、馬鎧をつけた馬に乗っていたという。
 見た目に初々しい若武者振りだった。
 後見役は勿論ご存じ、傅役の平手正秀である。

 信長像を見る限り神経質そうではあるが、中々の美男子のようであり、当時の女性からは好かれたのでは・・・と思う。
 信長の生活や「戦」振りから判断すると強者という印象があり、女性にはあまり関心がなかったかのようにも見受けられる。
 それは小姓として美形の「森蘭丸」等をそばに侍(はべ)らせていたことから男色系と取られていることもあるようだ。
 当時の武将は、戦場に女性を連れていく者も多かったようではあるが、信長は小姓を侍らせた。
 このことから、小生が思うに、女性は万が一のとき足手まといになる場合もあることから遠ざけていたのでは・・・と推測すのだ。
 それともう一つは、危険な場所(戦場)に行かせたくないとの信長自身の優しさも垣間見えるのだが・・・どうだろうか?
 
 実際はどうだろうか?
 正室の「濃姫」との間には子供はいなかったが、信長には男子が11人、女子も11人と22人もの子供を授かっている。
 勿論、側室1人との子供ではなく多数の側室との間に生まれたのだから、相当の女好きだといったほうが良いかもしれない。
 マァ、20年や30年の間に22人もの子供をつくっているのだから決して女嫌いとは言えないだろう。
 それにしても、忙しい合戦の合間をぬって22人もの子供を設けた努力に敬意を表したい。
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