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zoom RSS 信長は信仰心何てなかったのか?

<<   作成日時 : 2015/12/28 12:02   >>

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 信長を語るとき、必ず出てくるのが比叡山での焼き討ちによる僧侶の殺戮、高野山や奈良での寺院の破壊の事であろう。
 信長は特に一向宗への憎悪が計り知れない所があるように見受けられる。
 それと、二条城の建設時、京の石仏などを片っ端から引き倒して石材に使っている。
 これらの事を考えると、当時の人々もそうだが、後の専門家を含めて「信長は神仏も恐れない異人」だと恐れられた節がある。
 しかし、信長は全ての宗教を否定していたわけではないようなのだ。
 仏教そのものを排除したり攻撃はしていない。
 それなりの理由があるのだ。
 それは、各地に勢力を持ち、自身の統一に反対し刃向かう者を排除するために戦っているのだ。
 武家政権の担い手である信長にとって、仏教勢力との対決は避けて通れない道でもあったのだ。
 
 話は少し横道に逸れるが、当時の世の中(戦国時代)では、信仰に頼り自ら出家する武将は結構いたのだ。
 北条早雲もその一人だが、彼は京の建仁寺、大徳寺にて修行している。
 そして、早雲庵宗瑞と名乗った。
 九州の竜造寺隆信は幼少の時には出家している。
 武田信玄、上杉謙信、斉藤道三、筒井順慶、細川幽斎等々も出家組だ。

 この時代伝来したキリシタンに魅せられ改宗した大村純忠、有馬晴信、大友宗麟等の大名も有名だ。
 彼らは「仏教では戦乱の世は救えない。慈悲を説くデウスの教えなら救える」と信じ改宗したのだ。
 
 信長は決して無信心ではないのだ。
 諸説は色々あるが、永禄3年(1560)の桶狭間の戦い前、熱田神宮に戦勝祈願をしている。
 そして、勝利した後「信長塀(築地塀)」を寄進しているところを見ると、そうでもないのだ。
 さらに、父祖の地に牛頭天王社本殿を造営しているし、奈良春日大社の神鹿の保護もやっている。
 政教分離を主張していた信長なのだが、「キリスト教」の布教は許し、保護政策もやっている。
 キリスト教の宣教師に在住許可も与えているし、京に会堂(南蛮寺)も造っている。
 安土では会堂と神学校の建設までも許している。
 神学校では土地だけでなく、建築費までも寄付しているから驚く。
 
 信長は、宗教そのものを嫌ったのではなく、この宗教が権力と結びつくのを徹底して嫌っているのである。
 決して個人が信仰するのを嫌っているのではないのだ。
 信長に関しこんな話がある。
 あるとき諸国を巡礼して歩く「無辺」という僧がいたというのだが、この僧「自分は不思議な秘法をもっている。これを授かる者は現生では災いを逃れ、来世では罪を許される」と説いて信仰を集めていたという。
 知った信長は、化けの皮を剥がしてやろうと無辺を屋敷に呼び次のような問答をしたという。
 「生国は?」と問うたのだ。
 すると無辺は「天にも無く地にも無く空にも無い無辺だ」と答えたというのだ。
 現実主義者の信長は「この世のものは天地を離れて存在することはできないだろうが」と言い、即刻首をはねている。
 徹底して人の心を欺くことを嫌っているようなのだ。
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 

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