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所在地〜広島県三原市糸崎町 大浜の旧道は、「下がり松」のところから北西に大きく湾曲し、そこに海水が入り込んで松浜港が形成されている。港口東方の路地に旧遊郭地があり、辰巳(東南)の方角から戌亥(北西)の港口中央へ向う二筋の通路を歩くと、なめまかしく風情のある格子戸の家が軒を並べている。 西に湾曲して旧港口に荷揚げのために設けられた長い雁木が残っている。 松浜港は幕末の元治元年(1864)4月から翌慶応元年(1865)7月にかけて、三原城主第12代浅野忠英が宇都宮竜山の建議を容れて築調した。大きな岩の傍らに偕老の松があったので松浜港と名付け、現在の糸崎港の前身となるものである。 港湾条件が良かったので、寄港停泊する船舶が多く、移住者が増えて活況を呈した。 明治25年(1892)になると山陽鉄道三原駅(現糸崎駅)が開業し、7年後の明治32年に特別輸出港に指定され糸崎港と改名した。 また、この松浜は広島県内英学発祥の地である。文久3年(1863)英人ブラックモール兄弟を招いて洋学館を設け、浅野忠英が家臣に英学および西洋式銃隊を学ばせたからである。 (たくろう火) むかし、長井浦から沖を見ると、佐木島から蒲刈瀬戸のあたりにかけて夜明けごろ、波間に火が燃えるのが見えたので、浦人たちはこれを焚く朗火と名付けた。『三原志稿』に詳しいが、「中国行程記」にもつぎのように記されている。 此沖ナル鷺島ノ方ヨリ此浦ノアタリノ海面ニ上古ヨリ火ノ燃ル事有リ、今世ニモ時トシテ見ユ。土俗タクロフト云。筑紫ノ不知火ノ類ナランカ。古歌ニ、 西の海 千尋のそこに もゆる火は ひかしのうらに たれかたくろう 又 後鳥羽院ノ御製ニ 神の国 たくひの里に たかぬ火を 備後の木梨に 今ぞたくらふ (参考〜森本繁著“備後の歴史散歩”より) 松浜港 町 並 雁 木 |
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