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堂々川の砂留 所在地〜広島県福山市神辺町下御領 記録〜堂々川は一級水系芦田川支川高屋川の小支で、流域は2Kuと小さいが、江戸時代に渓流砂防工事が実施された代表的な渓流である。 「福山に藩政時代の砂防工事がある」という言い伝えがあり、土地の人は砂留と言っている。延宝元年(1675)堂々川では国分寺が流出し、63名の溺死者があった。 このあと水野勝種は洪水などの災害を避けて国分寺を上流側へ再建したのが元禄7年(1694)であり、この頃砂留も合わせて施工したものと思われるが定かではない。 福山藩は堂々川とその周辺に砂留工事を実施したほか市村、山手村、津之郷村本郷村など広い地域にわたって実施しており、天保年間(1830〜1844)の賃金台帳や、歩掛などの資料から、砂留工事は藩における重要な施策の一つであった事がわかる。 一番砂留 二番砂留 三番砂留 天保3年(1832)に施工した記録がある。積石に特徴があって層工したことがよくわかる。 四番砂留 五番砂留 六番砂留 堂々川公園 |
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